2008年06月 | |
2008.06.27 鋼鉄のアルカロイド さっきまで、書きたい気持ち、あったけど、しばらくしたら、尽きぬなりけり……と、歌を詠んではみるものの、これはもう恐らく小学生以来の大決断なのであり、え、何がって? 歌を読むことがだよ。小学生以来だってんだよ。つまりもう、あれから十年近くが経っているやもしれず、だから……分かんないかなぁ……その歌の出来がたとえ、多少、良くなくとも……そう、多少は腕が落ちているかもしれない……確かに、平安時代の好色共に比べたら、やっぱり、熱情とか、そういう観点で採点したらやっぱり……なにせ十年の歳月が僕と君(小学生の僕)の間を引き裂いてしまったのだから……だから、あまりハッとしない出来の歌であったとしても、あまり責め立てないでいただきたい、と、エクスキューズを乞うているのですよ僕は。ああー、20字以内に収めるつもりの微小ネタがこの有様だよ。この執筆性饒舌症、どうにかならんもんでしょうか。もっとも、あまり深刻には見てないけどさあ。ところで僕は今、ある事情によりアンダーシャツ一枚でこの日記を書いています。その「ある事情」を話す義務も必然性も、ことによると権利さえないかもしれないので説明はしませんが、今現在、僕はアンダーシャツ一枚でこの日記を書いています。もちろん下は穿いてるよ。んーまあ、穿いてない、と言った瞬間からテキストサイト的展開へ転回するのかも分かりませんけど、やはりここでも嘘をつく必然性ならびに義務・権利・強迫観念・衝動・自然的抗えないパワーなどなど、ありませんので、文章の中でも実際にも僕は上はアンダーシャツ一枚、下はズボンであります。ズボンの下ももちろん穿いてます。ややもするとズボンの下の下の下の下まで……フフフッ。――それにしてもさっきからアナタ、穿いてるとか穿いてないとか、いや、穿いてる、とか、そんな話題ばかり弄っていて悲しくないのかしら、と僕の未来の奥さん(不確定)が決起し揺さぶりをかけてきたので、いや、「ので」、と言ったところで次に僕がとる行動を知っているわけではなくて、とうとう今クシャミが出た。ごめん、話の展開と関係なくクシャミが挿入された。いい加減服を着ますよ。着ました。そしてお待たせ致しました、本日のメニューはこちら! ……なんかもう、得意技・お家芸・十八番・ネイチャー(性質)のようになりつつありますが、今日も「何を思って日記を書き始めたか」を短期記憶から消去してしまったようです。本日のメニューは……などと言って「大変長らくお待たせしました、遂に、遂に遂に遂にはじまりました今日の 妄誕F の日記! レディーース、エーーーーン、ジェントルメェン! 蟹工船ヒット中!」的な雰囲気を漂わせもしたものですが、騙し切れぬはあなたの心。桃色薔薇色群青色に染まるはあなたの頬。コップに注ぐは熱いお湯。立って座ってやっぱり朝はパンと牛乳シャバダバダバダバダバ…………。ああ。嫌。それから浪人生の身分でありながら『蟹工船』の名を軽々しく出したのはごめんなさい。今回のヒットで流行好きの大学生とか単なるブンガク少年も手に取るであろう作品ではありますが、内容が重いのには変わりない(読んだことはないんだけど)。重いものにはどのようにして触れればよいのか。自分が重くなればよいのか。では軽い者は触れるべからず、か? まず重いものに触れなければ重いものにはなれない気がするが、それを公に曝すのはなにか違うような気がする。考えとかなきゃなあ。 2008.06.20 視野狭窄の方法 分離独立、といった矢先で悲しむべきこと限りなしかな、という感じなんですが、はてなダイアリーに載せたらいいのか、こっちに載せたらいいのか、ボーダー上をゆらゆら揺らめいてしまう液体金属的文章が書けてしまったので保険としてこっちにも抜粋編集の後、掲載しとく。誰が読むんやね。 ------ くそっ。分離独立は容易ではなかった。もう。実際誰が読むんやねこれ。心配んなってきた。日記サイトなんて図太い趣味をもつためには、読者なんていなくてもいい、くらい思わなきゃ駄目なようだね。どうなることやら。サイトの心配ばかりしてる場合でもないんだけど。あーあと、暫定的な基準として妄誕Fは内向き(自分への言及)、はてなダイアリーは外向き(他者への言及)という感じにしておく。今回のは退っ引きならぬ事情が運んだ例外だ。 追記:でさ。結局一体ウェブ日記ってなんなのね。全世界に向けられていながら一方では徹底的に自分にしか向けられていないって、目的が分裂していて不合理ではないのですか。世界に“俺”を示しつつ、自分にも“俺”を確認させる? いや、そんなシステマチックな答え、俺は期待してなかったんだけどな。ふたつの目的が相乗してひとつの意味に止揚されることはないのですか。俺のやってたことって「食事を摂りながら歯を磨く」的な戯言だったのですか。朝食と歯磨き、すなわち自分と世界、別々に見えるふたつの対象はどこかで統合しえないかねえ……。哲学の諸問題の如く「答えはない」のかも知れんけど、まあ、せいぜい考えていくさ。 つい追記:だんだん統合されてきた。何が? 世界と自分が。統合を行うのは理論ではなくて各々の意識なのかもしれない。前書いたように、「妄誕Fはネット文芸だ!」と言ってしまえばいいのかもしれない。 2008.06.19 等速直線運動の罠 なんかさ、なんかさなんかさなんかさなんかさ、なんかさなんかさ書きたいよね。書きたい! YO! NE! ahhhhhhhhhhhhhhhh, 島根! こんにちは。今読んでいるあなたが朝であるか昼であるか晩であるか深夜であるかは問題ではなく、今わたしが書いているこの時刻、 12:53 。したがいまして俺は俺の時間に従う。伊達眼鏡。ああん、で、えーーーっと(恥ずかしそうに俯く僕。数秒のためらいののち)、またしても漠然と「書きたい」感覚が湧いてマイりまして、このサイトを前前からご覧になっておられるご長寿サマ方は重々承知のガッテンゆで卵であることと存じますけど、しかし「妄誕F?今日はじめて見た」というナイス・ガイ御一行様のために、そしてマジ(真)で書くことのない自分に対する夏休みの宿題の先延ばし的話題を供給するために、この広い妄誕Fの皮下脂肪のそのまた下を網の目のように駆け巡り侵し支配しているところの原理について説明しようと思いました。でも時代は電子メールさ。時代は mixi さ。時代は twitter さ。時代は2ちゃんねるさ。おいらは号。……号じゃない、号。……号だよ。……号。……号だってば。わかんねぇかなぁ。……号。号。 GO! GO! ってか。だっはは。笑わねぇのかよ。……号だよ。もう一度言うぞ。号。……んー! いい加減憶えろよ! 号! 号号号号号号号ごごごごごごごごご! ▼はーいありがとうございましたー。話題がないから目から手が出て耳から舌が、鼻と口からはアラ歯が生えてるワ! 口に歯が生えてるのは当たり前だ! で。大丈夫なんですかねえコレ。書いてて非常に心配であるよ。だってあのー……ねえ。解答を省略してもいい位にアレじゃないですか。んだよ。それでも本当に書くことがない、というのは事実ですし、書くことがないのに書きたいと思ったら書いちゃう矛先がこのサイトである訳ですし、いきなし大きな話になりますけどこの宇宙を取り巻いてるのはいつだってヘリウムかアンチモンに限るんよ。ダブルでお得って話よ。トリプルになるともっとお得で、一般化すると値段は500の(コーンに乗っけるアイスの数)乗根なんでありますです。いい気分です。あんまいい気分じゃありません。ここまで来てもらって何ですが、あのー、これは、これはあのー、勿体ぶる価値さえないけど、つまり無駄すぎやしませんか。無益。無益や。さいきん僕は無益であることに恐怖を感じておるのです。大丈夫でしょうか。大丈夫、なのでしょうか。このサイト。日記とも電波テキストとも随筆ともとれんぞ。ましてや小説や戯曲や詩なんではないぞ、念のため。字義通りに解釈していいなら「随筆」なんだども。あと一つ報告ですが只今はてなダイアリーの方で分離独立を試みているので、ここに載せるのはかなり無意味な文章ばかりになる予報。おいーーっす。 2008.06.13 ナツメヤシ達の嘆息 あのさー! 6月もすでに12日だけどさ! あのさ! これは大事なことだから言わせてもらうよ。大事なことは書かない、と言ったのはドコのダレだったかという質問はさておき、だし、日記サイトの内容に定義なんて存在し得ないのも僕も君も知っているはずだよね。さあさあ、だから俺が再三言いたいのは、インターネットやってると碌なことがない、ってことよ。もう一度、太字にして、あるいはフォントサイズ6くらいで頼むぜ、インターネットやってると碌なことがないんだ。フォントサイズ6を採用しなかったのはレイアウトが崩れるからなんだ。お分かりか。大事なことではない。こりゃ実際、大事なことではないよ。大事なことは、もっと素直な恋愛感情だとか、生涯の懺悔だとか、夢に向かって進む決心だとか、そういうものに潜んでいると思わないかね。あんがぐがうげごば。づぢでどにゃりまむ。ワオッ、ワオッ、ワオッ、ワオ、と突如スピーキンを発する人間を目にしてあなたは「気狂いだ」と思うか。「あたまおかしいんじゃないの」と、思うか。そんなことは俺は訊いてない。あなたの倫理的感覚の欠落について非難しているのでもなし、一般的な倫理のあり方について探求しているのでもない。一体、今日は何を、ここで、大きな声で、自信を持って、虚しく宣言しかけていたのか、数分の記憶を辿れば(それは人生からの退却をも意味する)(いや、しません、やっぱり嘘は書けないや)、だから「インターネットをやってると碌なことがない」んだけど、碌なことがない、イイことがない、というよりむしろ、悪いことがある。んだよね。でもこう言ってみたところで、これは語弊があるかもしれない。その宣言は解釈の幅が大きすぎるようだ。僕が言いたいのはインターネットをやっていると「青少年に悪影響を与える」「時間を浪費する」「目が悪くなる」という類の御免真っ平スウィートホーム的言説ではなく無論なく、理解できない他人の生き様を見て理解できずに苦しむ、とか、そういうのに近いところにある不快であるんますわよ。易しくない文なので解説すると、 おいおい、もう午前12時回っちゃったよ。勘弁だよ。ま、とにかくこういうことです。図だけで分かりますでしょうか。いやまあ図がなくても分かるような気もしますが、作っちゃいましたから。いや、あの、というか、図を作っているうちに心が穏やかになってきてしまって、あまりトガッた発言(トガッた、が形容するのは発言の内容だけではない)ができなくなって来ていますが、それにしてもここまで書いて放棄、ということはないだろう。んー、えーとまあ、図を見てもらうと分かる通り、先にある「理解できない」は「他人の生き様」を修飾しているわけです。さらに突き詰めれば「他人」よりむしろ「生き様」のほうに修飾の重点が置かれている、ということを言いたかった。なんでそういう行動しますか、なんでそういうこと思いますか、言っちゃいますか、つまるところなんでそんな生き方しますかできますか、ということ。もうホント最近思うのは他人が感じていることは決定的に自分では体験することはできないんだなあ、ということで、例えば辛そうに見えても本人は充実感を覚えていることってありますでしょう。そういうことを究極的には理解できない限りウーム、アア、という感じなんだけど、そういうわけで理解できないことは苦痛に繋がるわけです。不安、と言ってもよろしいかな。僕が採点者だったら満点あげてます。この因果の(果)の中にも因果関係が含まれてますね。理解できないから苦しむのですね。でまあ大きな四角で囲んだ因と果を「を見て」で事実から体験へと接続しているということになります。だす。ああもうこりゃほぼ完全に何が言いたいか見失ったぞ。ああもうだからそういうことだよ。日本人は議論が嫌いだからなかなか分かり合えない、のとは別の次元で理解不可能なものがあって、それは或いは完ペキに言語化することで理解できるのかも知れんが、それが出来るとしてあくまで理論上では、の話だろう。しかし大きな例えば喜怒哀楽の分類レベルで誤解を正そうとしてみることだけでもずいぶん違うんじゃないか、とは思ってる。「そんなに重いもの持って、大変でしょ」「いや、でも俺は楽しいよ」「ふうん」。後半、駆け足になったのでアレだね。まったく。けっこう大事なこと言ったような気がするんだけど。分かるよ、という人、分かんねえよ、という人、連絡ください。何をするわけでもないけど。 2008.06.03 怒りの心電図 嗚呼。嗚呼嗚呼、って、いきなり余談に入りますけど、「嗚呼」と「ああ」、はたまた「あー」とか「あぁ」とか「アア」などなど "a" 音を二度続ける感動詞の字面上の表現はこのように複数考えられます。そして、普段、僕が使用する "aa" は、むろん、その時の気分になるべく合った "aa" を選択しています。もっとも、今日は「あぁ」というような気分なんだけども。……と、言ったところで、読者のみなさまに分かってもらえるか? 「嗚呼」だとか「ああ」だとかの持つ微妙な意味合い・ニュアンスは全国共通か、と言えば、そんなことはなく、このように意味の境界がひとまず辞書的に確定していないコトバの違いは、読者個々の読書体験の蓄積から生成されるものでしかなく、だから僕の言う「嗚呼」はあなたの思う「嗚呼」とは異なる意味をもつのだろうし、だのに自分だけが知る意味を定理のように信じ切って使用している僕は、もう完全に誤っているとしか言えないのではないか? さらに余談に突っ込みますが、「分かる」という書き方があり、「判る」という書き方があり、「解る」という書き方がある。この使い分けには僕は、どうも不快感に近い感じ、を覚える。字義的には「分」も「判」も「解」も、バラバラにする、というような意味である。ただ「判」には「判断」という熟語が背後にあるし、「解」には「理解」という熟語がある。そういう意識が使い分けを促しているのだろうし、この明確な背景がある「わかる」ならば「嗚呼」と「ああ」の違いほどには発信者と受信者との齟齬も生まないだろう。でもさ。でもなんだ。こういうこと書くつもりじゃなかったのに。結局さあ、僕が「わかる」の漢字表記、とりわけ「解る」に言い知れぬ居心地の悪さ、こっそり逃げ出したくなるような感覚を読み取ってしまうのは、僕自身の中に「解る」に対するある特別な言語的体験があったからに他ならないのだと思う。いや、もうはっきり、その体験の具体的な内容まで思い当たっているので、そういうことだ。 でさぁ。音を伸ばすときに「ぁ」なんて使うの、ずいぶん久しぶりに思うんですけど、なんだろうね、雨降ってるんですよ。外で。もちろん家の中で雨が降ったらそれは屋根がないか屋根が壊れているかのいずれか、さもなくば SF 的ドラえもん的な発想を仕掛けるしかないんですけど、それよりも、この雨。うーん、“この”雨、ってわけでもないんだけども。雨が降っているときは家で静かに勉強するに限りますよね、という気分だ。今は。雨が降っている中で家にいると気が滅入るから少しくらい散歩してこよう、と思う日もある。んーと。なかなかこの「気分」が捉まえられなくて、このようにだらだら続いているのが今日の日記ですが、なんだかね。もう 12 時だしね。午前ね。別に悪い気分じゃないんですよ。良い気分とも言いがたいけど。この、まるで捉えられない気分を貴重に思っての記録がこの日記かもしれないし、そうでない可能性も多分にある。教訓としては、予備校にもアルバイトにも教習所にも行かずに家で勉強・読書・執筆・その他 5% の生活を続けていると、いろいろ磨きがかかってくるゼ、ということかもしれない。まあ高が一年間でどうなる、という話でもありますが、気楽に、期待して、そしてしたたかに行きましょー。 2008.06.01 バイカルっ娘 あ゛ー、ゲホッ、んで、6月にもなったので、さうだログを作ろう、と思い立ちてですね、4月そして5月分のログを編集する作業に没頭すること 2,3 分ののち気付くには、当初、この2ヶ月はさほどの量を書かなかったので、ひとつに纏めてしまおう、と、かんがえていたのですが、いざ実際やってみるとこれがなかなか巧くはいかぬもので、端的に言ってしまうとファイル名のつけかたに立ち止まった。僕は僕なりに外見へのこだわりというのが(タチの悪いことに)けっこう、あって、たとえばそう、個々のログのファイル名は 2008年4月ならば 「0804.html」 といった具合につけてきたのですが、さて今回 4月+ 5月の合併号をつくるにあたって、いかなるファイル名をつけたらばよいのか。悩んだのでした。その実は大して悩んでおりませんでした。「さほど書いてない」といえども、「ぜんぜん書いてない」わけではなく、僕基準的には 4月分も 5月分も、ひとつのファイルに収めるに値する程度に内容をもっていたのでした。ならば話は早い。ニッコリと笑みを洩らし、 4月分と 5月分をなかよく分割するに至ったのでした。ほんなことを書いて、読んで、何が楽しいその他なんらか快楽的感覚が得られるのか、このバカめが、とウェブ日記執筆者3、4下手すれば5年目にもなって性懲りも無く「日記を発表することの意義」に疑問をもってみたりもしていますが、それも木っ端微塵のこと。僕は一日の大半を数学と世界史に費やし、趣味は散歩であり、思うことはするすると過ぎてはいくが律儀にも少しずつ僕を困らせ、まだまだ世間に発信したいことは山ほど現れてきそうな気配であります。んんー。ところどころ冗談を含め、こんなところで宜しいでしょうか。そもそもログの整理をすれば index.html つまりトップページから日記という日記が姿をくらましてしまうのは自明の理、自然の摂理、普遍的真理、火を見るより明らかな事柄ですからその空白を埋める一ときの楽しみが欲しいな、と思いつつキーボードを叩いていた次第です。どうも最初のほうギクシャクしておるのはあんまり気分がノッてなかった所為ですよ。すぉいでわ又。てかもう六月ですか。高校時代より実感時間が長いのは事実だけど(つまり高校時代いかに俺が漫然と過ごしていたか、ということだ)。以上。 | |