2008年05月 | |
2008.05.23 ポリティカル・マザーグース えー、あと十分くらいで、というのは具体的な、このサイトに似合わず具体的な名前を出しますが奥田民生の「月を超えろ」のCDシングルを聴いておるのですがなんとなく手持ち無沙汰なのでひさびさに「日記」でも書いてみるか、と思う次第なのですが一つ懸念があって、もう近頃閑古鳥カアカアとしか思えないくらいのはてなダイアリー側のアクセスの無さなんですけど、つまり俺の人気が落ち込んで来ているのでわ……という懸念なんですけど三日やそこらで様子見た気になっているのも非常な間抜けさであるのは分かっているので暫く様子を見ることにしていますけど、というかそうするほかないんすけど、でも今のところ俺ってやっぱりつまんないんじゃん、という気分があるので、なん、ん……なんなんだっけ? いや。取り直した。客が来ないからといって日記を書かないという回路は俺の思い込みであった。文章を書けば自分の偏見は嫌でも矯正されてくる。けっきょくコトバというのは論理を司る道具なのであって、……とか言って見ました、書いてみました、ってなアレで文章がグニャグニャポヤーンなのはそのつまり、十分で文章を、だから繰り返しますがわたしは今現在奥田民生の「月を超えろ」のシングルCDを聴きながらキーボードを叩いていて、しかもこのCDが終わるまでにひととおり文章を完成させてしまいたいと思っているので、そしてたった今三曲目の「メリハリ鳥」が終わったところで「MOTHER」が始まり、すなわち僕に残された時間はあと5分弱程度ということであり、つまりは焦っているのであります。焦るといえば勉強で焦れよな、という小言が容易に思いつきますが、が、が、がが、それに筋の通った言説でもって反論を成し遂げるのは非常な非常な困難さがつきまとうので、僕は、僕は、パソコンに触るのもたいがいにしておきます、へい、と返事するばかりなのであります。で、何だっけ。言うこと、なくなったわけじゃないんだけど思い出す時間がない。このへんで本日の日記は終わるのでありますが、このあと多少時間をかけて文章の論理と論理が(?)つながるように、読者の理解をたすけるために推敲をするべきか、あくまで「奥田民生を聴きながら日記」としてライヴ感を残すべくあえて手を加えないか、いやライヴ感を残しながらうまく推敲編集するのがプロの仕事ってもんですけど、とか書いているうちにCDが終わった。じゃ。 2008.05.12 六波羅探偵団 幾何「はてなダイアリー公開停止に際するメッセージが文字数制限のため満足に掲載できなかったのでこちらに載せるよ。」 ------------ 一旦休止します。当然のごとく再開未定。 何事もなかったかのように明日はじまるかも知れませんし、何事もなかったかのように二度とはじまらないかも知れません。なにかの終わりが唐突なら、始まりだって唐突だ。物理現象上はな。 休止理由ですが、まあなんか「冷めたから」です。わりと本心とズレないと思います。ニコニコ動画に言及したら(いやニコニコ動画自体になにか言ったわけではないが)客が急に増えたからではありませんので悪しからず。あ、そういえばブックマークして下さったかたはすみません。あと、終焉に際してつらつら書いているので葬式と解釈されるやも知れませんが、本人はそんな積りはなく、ちょっとやってみたかっただけです。 「妄誕F」は不滅なので僕の文章がどうしても読みたいかたは以下のアドレスへどうぞ。 http://that.bufsiz.jp/ ------------ あとちょっと雑記。近頃思うのは、俺が寝る前とか、散歩中とか、勉強の合間とか、勉強の最中とかに考えている具体的なことごと、なにやら情念的なことを文章化したら(って、つまりフツウの日記なんだけども)ケッコウ面白いんじゃないか、と自惚れてるんだけども、反面、実行しようとは思わない。それは、それをすることで自分に対する何らかの価値が見出せないからだ。その意味で、ここ 妄誕F は極パーソナルスペースであることを維持している。すなわち、俺にとって具体的に情念寄り(拠り?)の思念を掲載することは却ってサービスであるってことだ。だから何なんだろうねえ……。いやー。結論ってジャマだよね。 2008.05.05 プロレタリアラリアート いやあ、参った。どうやら俺は太ったらしい。今朝、椅子に座ってみて覚える違和感。その違和感のありかを確かめるに、ズボンの上に載った贅肉が。ゼイニク。みなさん、わかりますか。贅肉です。贅沢な肉で贅肉。マツザカギュウなどのことを指すのではなく、贅沢な生活を続けるとついてくるという、これも痛みや病気などと同じ、体のサインのひとつ。「たるんどる!」という身体からの喝。と断じてしまうおうかと思いましたが、贅沢な生活をしていないようでも太っているひとは居ますから、つまり贅沢のゼイではなく、「無駄なもの」という字義のそれなのであります。まあ近ごろ俺がたるんどるのは否定しがたいので心を入れ替えマス!! と宣言するほかないのだけども、いや、いやいや、そんなことはどうでもいいんだ。無論どうでもいいことばかり書いてしまうのが本サイトの暫定的な特質ではあるけれども。 ともかく贅肉がついていることを確認した僕は、そういえば昨日、乗用車に揺られていた際、体全体のリズムと微妙にズレて跳ねる腹部というのを感覚していて、ああ、胸の大きい女性もこんなふうな感覚なのだろうな、などと思っていたことを思い出し、いや、思い出して何するでもないんですが。そして数ヶ月ぶりに体重計くんに診断を申し込むこと約5秒。ああ。ふむ。成程。すなわち高校生時の僕の体重は 55kg 前後をキープしていたのですが、現在になって測定するに 60kg と。実にこの度 5kg 程の増量となりまして、あの登下校の約 30 分のサイクリングは馬鹿に出来ない運動だったのだなあ、と失って初めてわかるありがたみを噛み締めてばかりもいられない、自分が太りはじめている、という事実を眼前に突きつけられてみると、なんか柄にもなく「ちょっと、ヤバイ!」と思い始めまして、もっと運動しよう、とか、無闇にお菓子食べないようにしよう、とか決心しましてる次第なんであります。今ならダイエット行為に興じる女性たちの心理も僭越ながら理解できる気がします。これは外見だけの問題ではなく、自意識という部分に強くかかわりがあるのです。ですので、「べつに今のままでも充分痩せてるじゃん」という言葉は on diet な現状に commit している彼女らには無効でありましょう。問題はそこではないのだから。「わかってない……」と思われるだけです。いやーん別に俺は減量を奨励してるワケじゃなく(むしろ、生活と健康に支障を来たさない限りはダイエットなんてせんでいいと思うので)、そのような意志に燃えている人びととどのようにして接すればよいのか、ということを考えているような――その実、考えていないような――脳内状況下にあるのです。ごめん。やっぱり考えてない。しかし愛する彼女や大切な友達に「ボクサーか!」と突っ込みの一つも入れたくなるほど減量されてはこちらも心配になりますから、そんな状況に陥った場合のために一応の答えは出しておきたいものです。 どんどん話がズレていますが、走り出したら止まらない、やめられない止まらない、今やろうと思ったのに! こう思うわけなので続行。僕の考えでは体重を減らすという意志行動の中には「人の目」だけでなく「自意識」が強くかかわっている。「このままじゃあ『サトミ、太ってるね』と思われちゃう」というよりか、「太っている自分が嫌だ」という気持ちが強いのだと推測する。ゆえに「充分痩せてるじゃん」というコトバはたかが一他人の主観であって、当人の意向に決定打を及ぼすものではないということを言いました。では、「自意識」にはたらきかけるにはどうすればよいのか。どうすればよいのか? 即座に思いつかない。誰か考えてください。わかんない。さて、他人のダイエットを止めようとする反面、自分は体重を落とそう、あ、いや、厳密には贅肉を落とそうなんて下世話なこと思っている僕ですが、これはあんまり動かないもんで僕の身体がみるみる退化していることへの危惧から来ているわけで、その、なんだ、なんだっけ。もういいや。ごめんなさい。失礼しました。まあ必要ないのに痩せようとする人にはどうにかして価値観の転換を図るしかないんだろうね。 2008.05.03 井原西鶴とすったもんだしよう! 四日連続で日記なんか書いちゃったりなんかしたりなんかして、調子は抜群、太鼓の達人、楊貴妃のブルドーザーってな具合の晩年の僕ですが、さて、何を書こうとしたものだろうかと思案する、と書きながら思い出そうとするうちに思い出したのは昨日の日記の解説なのでした。いいかげん下世話なお世話ですがいいか、僕は見えない読者のために戦っているのだ。回線の向こうのあなたが必ずしも寸分の狂いのない読者だとは限らないから、そこ、覚えておくように。というふうに、今日の僕は凶暴です。イェーイ。見てるかい。 んで、んで、昨日アンタ何やっちゃってたん、と問われれば即座、「実験的な日記を書いていたのさ」とボソッ、と呟いて苦い笑みを浮かべながら背を向け霧雨の中を歩いていく傘と一人の男が浮かび上がることでしょう。ではまずはジャブだ、件の文書をデジタルテキストに書き起こしたから、じっくり読んで欲しい。 ------ えー、おはようございます。幾何です。えー、こう、手書きだと実名をうっかり名乗ってしまいそうで怖いですが、えーっとあの、そうです、手書きです。こんなもの堂々と発表できるほど字も達者でありませんが、まあ、なんとか読めるとは思います。別に無理して読まんでも宜しいですが。 今更ですけど、これ、かなり読みづらいかも知れんね。モニターに映したら。 思い出したけど、手書き日記は前に一度やったことがあるんだよな。但しペンじゃなくマウスで書いてたけど。ペンとマウスは違うよなあ。 ------ どうです。これで昨日の読めない日記を読むんだぜとカッカカッカ隔靴掻痒した人にも一目瞭然でしょう。損した、とお思いのことでしょう。達人は自己解説など決してしない、とでも文句の一つもつけたくなるでしょう。誤字がひとつあります。後ろのほうの「消しゴムで消した後」は「跡」の間違いです。ワープロでも起こり得る間違いなので手書きならではの威力が誇示できず悔しい限りでございます。ところでというか別に解説することなどありませんのです。「手書きで日記書いてハッピョーしてみたら、、、どやろ」みたいなことを思いついて思い立ったに過ぎません。あと蛇足ですがおまけです。いわゆる異化効果の実験です。おそらく。 2008.05.02 ホンワカマネージメント
2008.05.01 失望するぞ。 なんだ? 人と人とのつながりというものは、そんなに脆弱ではかないものなのか? 学校を卒業しただけで疎遠になる程度のものなのか? 「卒業しても、ずっと友達でいようね」と約束しなければ維持できない、いや、約束したところでいずれ疎遠になってしまうほどもろいものなのか? なんなんだ? 失望するよ。 ということを、ふいと思った、ンので、書いてみた。に過ぎません。エッヘッヘ。日記のタイトルに句点をつけている、というのは、いつか書いたことと矛盾していますが、まあ、気分です。どちらかというと今日のが気分で書いてる、ということで、よろしく。じゃーまた。実はリアル人間の繋がりもネット人格の繋がりも大して変わりないような気がしてきたよ。前者を引きずり下ろすかたちでね。 | |