2008年2月 | |
2008.02.28 跨いでも跨ぎきれない destiny 例えば村上春樹(および村上春樹の小説の主人公)が自身の音楽遍歴を語るとすれば、恐らく一貫性と整合性のある洋楽のラインナップが並び、読み手にも納得いく道筋のものになるんだろうなあと想像する。村上春樹どころか、今のところの大半の人は(相当せっかちだったり音楽を聴くことに何か特別の意識がなければ)何かしら一定の鎖で関連づいた音楽遍歴が確かな旋律を奏でる(なんでそんな表現しますか)と思うんだけど、翻って僕の聴いてきた音楽(っても高々5年程度ですが)を辿っていくと、井上陽水から始まってビートルズ、奥田民生に行き、たま、電気グルーヴなどを経て Mr.Children しばらくののち GRAPEVINE や SURFACE に辿り着き、 POLYSICS 、 TRICERATOPS 、 THE YELLOW MONKEY などを通ってカステラに至る、みたいなナンヤヨウワカラン話になってくる。つまり、インターネットが齎す(もたらす)情報の嵐はこんなにも渦中の者を追いたて時の中を走らせる。ホンに作品にじっくり付き合っていたのはたまとか電気聴いてた辺りまでなんすわ。 ここまでが今日、言いたかったこと。あとは誰のためでもない字数稼ぎのための補足説明。 もう散々言われてる筈だけど、インターネットというのは情報への手の届き易さが半端でなく強力だ。まあ、見てるサイトにもよりますが漫然とネットをしてる多くの人たちは、ひとたびブラウザを開き、マウスに手を置いてぐるぐる動かしたりカチカチやったりしているとものの数時間で頭の中は断片的な情報で一杯に満たされる。そうそう、断片的なのです。これがいけない。英単語帳で覚えた「convince - 納得させる(って辞書に書いてある)」というような情報と同じで、2ちゃんねるの掲示板で見た「あぶらだこは変拍子を多様するすごいバンドである(らしい)」といったよーな中身の伴わない断片的な情報が多くインプットされる。そうです。2ちゃんねる。これもいけません。そもそも僕は前に2ちゃんねるの邦楽板に常駐していた時期があって(告白)、その所為で前述のような断片的情報を蓄積し、それを購入 / レンタルする CD に適用し、結果上述のような音楽遍歴を形成するに至ったのです。 2008.02.24 現代人の悩み(OH-YEAH) というわけなのだが例えば(これ、近頃の口癖)、現在読んでいる本がさほど面白くないというか、というよりは、あまりのめり込めないものだった場合、どうするか、っていうのを考えてみる。まあ読書狂いで活字中毒で読む本読む本楽しくて興味深くて仕方ねえゼーヒャホーという人ならこんな下らない問題に思いを巡らせなくても済みますが、あいにく僕は読書狂いでも活字中毒でもなくあまつさえこういった下らない問題が大好き及びこういった下らない問題に心を奪われている存在であるので当面はこれでいさせてください。そして本題に入る。入る前に余談なのだがもう近頃というか暫くのこと「書きながら考えている」。こういった情況にある要因としてはたぶん「心に余裕がない」からだろう。もう少し具体的に言うと、考えてから書いていた期間というのはだいたい今年の八月くらいまでが相当すると見積もるのだが、そういう期間どこで考えていたのかというと大方専ら自転車に乗っているとき。すなわち登校および下校中。あの時間というのはまあ途方もなく思考が巡るものであって、……ごめん。嘘。自転車乗ってるときにネタが思いついたことは何度かあるけど、あの頃の日記が悉くそうだとは言えない。つまり大事なのは「心の余裕」ってやつであって、あれがなけりゃ例えばラーメンの汁を飲むだの飲まないだのといった問題だって意識にのぼってはこない。で九月以降の僕は学習塾に行き始めたことがあり(いや、あれ、結構本気で負担だったんだって)、心の余裕はなかったなあと回顧する。ところで現在も詳しく説明する気はないが謂わば宙ぶらりんの状況であり、調子に乗ってテレビゲームなどしたりもするが依然として心の余裕は取り戻されていない。本を読むにしても中々落ち着かない。あ。ああああ。そうか。ああ。そっかそっか。そういうことか。そうです。こうです。結局の話、読んでる本が面白くないのではなく、心の余裕がないから本を落ち着いて読めないのであり、腰を据えて読まないから面白いものも面白くないし、面白くないものもはっきり「面白くない」とは言えない。その本の内容が充分には取り込めていない。こういうこと。何だ、書きながら考えるのも馬鹿にできないな。うひょう。 2008.02.21 いやァ 初音ミクって結局一体何なんですか? とか、ガッキーの姓を未だに「ニイガキ」と読んでしまう、とか、どうでもいいですけどここ一連のリンク集編集作業から枝分かれして新たにつけた花、すなわちgood日記サイト探しに没頭している際にどうしても感じてしまうのが「俺はネット文芸を軽視してるな」と。 2008.02.19 WOW WOW + WOW すーませーん。また断片やります。クセになりそうやね。時期を見計らってこう、意見じみたモノも噴出しとかないとバランス的にあのー、てコレはたった今思いついた言い訳なんですけど。 >リンク集の編集を行ってる。今となっては我既にリンク集の意義を知れりの僕にとってリンク集を作るにさしあたって問題なのはああだこうだある訳ですけど、僕を悩ませている事柄は最終的に「何書いたらいいかわかんない」ということになるのだろう。で、これはもうシックリ来る言葉が浮かぶまで歩き回る(身体的にではなく)しかないらしいのでなんか気長に作ろうと思います。えー。 >さっき使ったので書いとくと、「○○が(主体)を△△させる」という書き方は好きではない。例えば「クラスの女子の声が僕を苛立たせる」とか。というのは苛立っているのは自分じゃねえかと、自分の感情に責任持つべきじゃんねんの、と、チョット思うわけだが、これまた僕が諸々の事象を考えるにあたって採用している因果律に寄り添えば「女子の声」が因で「苛立ち」が果であるわけで、じゃやっぱり俺は「苛立たされている」のであるのでわ? ともなる。それでもなお俺はこの受身的書き方を承知できないでいる。すなわち人間存在の受身的あり方に敏感になっている、ということだろう。その一方で、やっぱり万物すべて受身的に存在するしかないのでわ、とも考えている。 >今聴いてる音楽、とか書きたいんよ。どうしても。これは別に有害じゃないしぃ……と社会的に認められている行動であることを盾にしてずんずん進んでいきたい気持ちはあって、まァそれは消極的肯定だぁな、と思ったりもアレなのだがさて俺はどうして「今聴いてる音楽」を掲載することを禁止したのだったか。結局すると一貫性がないからかな。ありゃね、一貫性あってこそだと思う。俺は近年自分以外の対象への言葉をあまり掲載しなくなっているが、そういう理由か? そうでもないような、な。ちょっと検討してみる余地がありそうだ。 >それにしてもウォークマン使用しながらパソコンをいじることの快適さって言ったらない。代償として純粋鑑賞への態度が否定されるが。んーでも結局、にんげんっつうのは自己中心的存在だからねぇ。そのへんから削っていかない限りはね。 >んんで今年に入るくらいから iPod からウォークマンに乗り換えて、ていうか今検索したら一口に「ウォークマン」言うても CD, MD, Tape から HDD 型の高機能なモノ(←今はこれが主流らしい)まで幅広く存在しとるわけで、ここは一つ態度をはっきり表明しとかねばなりませな、と思うので僕の使用しているのは CD プレイヤーなのであります。だからこう言うと語弊が少ない。 iPod から CD プレイヤーへ転換、と。まあ何が言いたかったってのは iPod 使ってると入れて聴く音楽を制限してしまうのだよな。こう何か自分の欲求よりもライブラリの整合性を追求してしまって、でも整合性のあるライブラリを形成するだけの蓄積と根気もないもんだから、結果どっちつかず、っていう。無節操に入れていれば良かったんじゃんけ? とは思うこともあるけど、それでも行動の中心が「 iPod を聴く」ということになりかねないフシもありまして。まあ今が良いからそれでいいけど。 >これ実は純粋鑑賞(じっと向き合ってスタイル)も大事だが音楽特にポップスとか言われるものは「流す」ことも重要な鑑賞方法なのではないのかな。こんなダイタンな説を下してみたのは、でも、流れる音楽にボケーっと耳を傾けてるときに新しい発見があったりもするよね?! ていう意識。 >ふーむ社会的慣習にとらわれてる大多数の人間にとって(僕含めて)インターネットやら日記の執筆やら html ファイルの編集に入れ込むのは「そういうのにコミットするのも たまには いいけどさぁ、」云々の見解しか持たれていないんだろうなあ。こう、同じ文化的活動の範疇でも耽読ーとかバンド活動ーとかの受け入れられ方と違ってねえ。もっと大々的に認めるべきだと思うのだが。 2008.02.18夜 蘇生 やべー。インターネット面白い。無論というか議論の余地なしというか、そもかく(そもそも+ともかく)僕の言うインターネットとわ「日記サイト」、広うくとっても「文章を主体としたサイト界隈」、まぁでも「はてな界隈」ということに環境制限的になっとりますけんども、「はてな界隈」が好きかっつうたらアンタ躊躇(また書けない字変換した!でも今覚えたから書ける!)なく首を横に振るくらい判っきりハテナ文化への違和を感じるセンシチヴな僕なのではてな界隈を彷徨うことが非常な幸福だとは思っておらんけども、これ事実として環境制限として心のファイアーウォールとして、いや、違くて単に環境的問題によって、すなわち皆書くといえばはてなばっかりヨ、という要因により、統計的確率的環境からどうしても日常文章系ウェブサーバのディクタトルこと http://d.hatena.ne.jp/ の内部をうろつくしかない現状、しかしそれを殊更憂うことなく過ごせているのはインターネットつまり日記サイト巡りの楽しさがこの身体に甦りつつあることを実感しているからなのである。イエー。 2008.02.18昼 被毒 それはもしかすると。本題を突きつけようとするならば、昨日からアンテナを放棄して、手動でウェブ巡回を試みているのですね。試みている、なんて余所余所しい言い方しちゃったけど、これ、回帰ですからね。回帰。立派にも程があるっていう。 ※補足1:今日の日記の本来の主旨は、「アンテナから手動巡回に切り替えたものの、どうしても不便を感じる。アンテナの方がよかったのでは、とさえ思う。どうしたものか」といったものを予定していた。 2008.02.16 背徳 っとね、早くも「パソコンの肉体的無移動性についての批判」だかなんだか知らねえことを論じてもみたい気分になっているのでありますがこれ、誰がどう見ても、例えば「カリフォルニア州知事が政治的視点から見ても」、「脳科学者が解剖学的視点から見ても」、「あなたが独自の視点から見ても」、見たとしても、これはパソコンに囚われつつある人間というのが究極的に原罪を、そして現在を背負っているのでありまして、その事実、ファクトを否定し削除し消し去ることは実際的現実的科学的論理的認識的物理的に不可能なのでありまして、……でーあのー気付いてもらいたいのはゲンザイ、ゲンザイ言っているところで判明するのは本日の僕は一層でたらめなことを連ねる気分で身を乗り出しているのです。たとえば「原罪」の意味も確かめずに使っています。し、タイトルもこれは軽はずみに付けておるのですことを約束いたします。さてこうしてパソコンに囚われ通な僕ですが、これは全く簡単な話で要するにいちいち解(1)析するまでもなく僕が早々に(2)咳払いをして(3)席を外せば脳の(4)関所をがんじがらめにしている(5)堰が外れ思考の(6)積が入(7)籍して一(8)石二鳥などという実利的な考えは排(9)斥される輝かしさで僕は解放されるのです。と思いますので今回の僕は軽々とフライをハイするのです。浮来を排するのです。いやはやはや。 2008.02.15 周期 えー案の定でございます。はてなダイアリー「skill substitute」の方の更新を打ち止めとしました。さっき。元々あのブログ、いつまでも続くことはないだろうな、とは開設を思い立った時から予測していましたし、終わるときは不意に終わる、というのも同様に経験によって知っていましたので、僕としては部屋のカレンダーを取り替えた程度にしか思っていませんし、読者のかたがたも特に感慨はないだろうと思います。はい。あれ、ささやかな現状打開策みたいなモノだったので。ちょっとした出来心だったので。煮詰まった末の迷走みたいなものだったので。そもそもあれを始めるにあたって、猛烈な推進力が働いたわけではない。まあその辺の話は今のところする気もないし読者も別段聞きたくないかと思いますが、なんて言うとこのサイトの存在意義が問われてくるわけですが、とにかく今日はそのへん寛大にお願いします。すいません。つか、猛烈な推進力どころか、僕としては気が進まないくらいに思っていたのです。自分が作品の感想を書くには経験や教養や熟成など諸々の材料が欠如していることは日記で何度か示したくらい自意識にのぼってきている事柄でして、こう見えて(?)人の目をずいぶんと気にする僕はあのようなぎこちない文章晒して気持ちの良いことはなかったのです。いや、まー……エラソーに一席ぶったり、はてなに参加することに対する一抹の楽しさがあったのは否定しないけど。なんだか振り返ってみてこその否定的姿勢のきらいもありますが、ともかく再再再び僕のはてなダイアリー・ライフは終焉を見たのです。まあ、何んか? つうと、現状打開した、ということです。にわかに現状が打開されたのではてなダイアリーを書く必要性もなくなったってことっす。ええー。また一つ僕の中に推進力が。んな感じ。デ・アリマス。よーし。いってみよー。 2008.02.12夜 掌握@湘南 当方暇です。暇であります。超絶な迄に暇であります。(暇)なのであります。暇印であります。ががががががががが。怯えています。怯えております。これから始まる死刑宣告いや死刑執行に、怯えております。然しトラップカード「ゆとり大国日本」の発動により死刑は免れるのであります。よって怯えているというのは虚偽であることになります。とにかく体がソワソワして落ち着かないんだよーーーー!! 2008.02.12 擬態王子 ああ、ああ暇なんだよ。暇で暇でしょうがないんだよ。というのは誇大広告であって現実の僕はこうしてキーボードを叩いている間にあっては暇とは言わねえでもらおうってな気概なのですが今日もまた僕が思ったことをなんの面白みもないだろうことを綴ることにしたのですがこれが流石に今日は気が乗らない。乗らないのだが続けるということは惰性、これは僕定義だととにかく毎日同じことだけしてやり過ごしたいという心理でありますがその惰性によって僕はキーボードを以下略して話を進めますと、てか今日していることは 妄誕F 的に道に外れた行為だとの容疑が濃厚なのですが仕方なく続けてしまうと、まあなんというか自身、なんか身につけんとなあ……との漠然とした思いから英語の新聞を読むことにしているのですけども、英語の新聞てえのはあのーいわゆる英字新聞と同じにするとチョットまずいと思うんですけど、こういうものをですね、ちょこちょこ一日一記事ずつでも読んでいこうかなあという試みをですね、今日から始めるということに突発的にしたんですけども。これ、英文に慣れると同時に世の中の今の話題は何なのか、っつうコトが分かるわけでして一石二鳥っつぃいますか、まあそんなん本当はどうでもいいんですけど、だって行動をすることが最も大事なことじゃないですか。そう思うんすよこれ。あのーだから昔っから言ってるわけですけど。それこそ。で。読むのよ。餃子の件よ。読む。ふうーむ……ん……へええ……ほほー……中国餃子怖いね……ふーん……思い込みかこれ……「autosuggestion」ね。はあ。読み終わりました。だから何んだっつう。あはは。その間にラーメン食べるなどの accident が生じたため、気が変わりましてこれ以上の文章放出行為は打ち止めとさせていただきます。ごきげんよろしう。 2008.02.11 レディオ!! アーーーーート、イン!!!! 今日のわたしの発言録 十時 だからね、こういうサイトを見ると生気が吸い取られるんっすよ。参っちゃうわけ。あ、生気、って、口に出して読むときは気をつけよね。いやこんなサイト口に出して読むなんてこた万に一つあるかないかってなアリ探しですけんども。あとーさーこういう気の利いた補足をさーシモネタだとかさー言うのさーやめてほしんだよねえー別に俺はアレがアレでアレアレなのでネット上でそういう話をしてはならぬというお触れがあるわけでもなしさーなんって言ってるうちは気楽なのだがこの口調に突入するとなかなか止め処を見出せないのがさーなんとも罰当たりな、ね。ついでに言っておくと、もうちょっとアレとかアレなどと言って放棄&逃走せずに真っ向から表現してみたら、と思う。ふうむ。 十一時五十六分 あれこれ如何に関わらず、春だな。と、思った。こうして、僕は家に居ながらして春を感じてしまう訳だが、おもてにも出ようかな、とも思う。なんて書くと引きこもりのようですナ。まあ半分そのようなもんだけどさ。 十二時半 近頃このサイトの主旨が静かに変化しつつあると感じているのですが、どうでしょうか。どうでしょうか、と訊かれるのが最も苦手である僕が発する「どうでしょうか」は、他のひとびとのそれと比べて重みが変化するかというと答えは No, it isn't. で、ともかく「どうでしょうか」、すなわち how 疑問というものは質問者としての責任丸投げアナタニアゲル体制ですね、ですけど其んなこと告発したって特別な意味はない。もう一つ言おうと思っていたことがあったんだが、なんだったかな。 / 「どう?」と訊かれて僕が返す言葉は、「『どう?』って、何?」。ここに無限 loop の萌芽が吹く。「『何?』って、何?」である。「『『何?』って、何?』って、何?」である。これ以上続けると二人の仲は険悪なものになるか、望みは薄いが意気投合して結婚に結びつく例もある。 十二時四十分 要するに、「今日のわたしの発言録」と銘打って、題して、形式化して、随筆潤滑スプリンクラーを妨げようのポーズをしているから書いていて違和感を覚えるのだ。のかも知れない。形式化することで(どういうわけか)筆はよく滑るようになるが、しかし形式化には形式化的な呪いが付きまとっていて、 / 形式化すること、ところがこれって、只今実施している形式というのは、「頭に浮かぶことなんでも書いていいよ、むしろ書け」という形式で、だから却って色々無節操に発言できているんだなあと思っている。確かに制限がないと物事は思うように進まないもので、例えば夏休みの自由研究などは「何したらいいかわかんねー」と友人と評しあうのが通例だろう。数学の問題を解くにしても x の範囲を求めておくことは重要になる。突然に神が眼前に現れ、あなたに全世界の所有を保証されたらどうするか。どうしようもない。あなたは全知全能ではないし、おそらく人民を統率する力もないだろう。平凡な人には、平凡なものを。カエサルのものは、カエサルに。買えるものは、マスターカードで。 / 「何でも書け」ならば漠然 LOVE となり Tell me what to write と問わざるを得ませんが、「頭に浮かぶもの何でも書け」となればこれは現に僕が実施している通りガリガリ書きまくることができます。たしかにこれは制限に違いないように思われるのですが、では前者「何でも書け」というのは「頭に浮かぶことも浮かばないことも書け」という意味内容になるのかと言えばそれは無理難題というもので、それを実行するとすれば、すなわち頭に浮かんでいないものを書くとなればシャープペンシルをでたらめに動かして偶然によりものを書くとか、あらかじめコンピュータに単語を仕込んでおいてランダムに組み合わせることによって作文するとか、しかしそれは自分が書いたことになるのかというとそれは学者によって説が異なるべき箇所で、まあとにかく原則として、無茶だろう、というのが僕の周囲の見解であります。しかしながら、現実、世界というものは常に不条理に存在しているものであり、私達もその不条理な世界のなかに組み込まれている以上、私達自身も不条理な存在でなければならないのです。そして、それを認めなければ生きてはいない筈なのです。自分の不条理性を認めつつ生きている、このことを認めるか認めないかは、あなたの判断にかかっています。 十七時四十分 他に誰もいないところに一人佇んでいるような、つまり“アヤシイ”人を見かけたらどうするかってえと、だいたいは「放っておく」或いは「積極的に避ける」という選択肢(触らぬ神! 穏健派! 記憶にございません!)をとる、ということについては多くの人に同意していただけるかと思いますが、 TV ゲームの世界になるとそれは逆転する。すなわち、“アヤシイ”人を見かけたら積極的に話しかけるのだ。イベントを起こすためには、ストーリーを進めるためには危険など顧みてはいられない。そもそも、操作している人間には危険などないのだから。グラフィックについては現実性の解像度は相当のところまで到達したが、肝心の内容は現実とは逆のベクトルを向いてしまっている。現実とヴァーチャルとの融合を図る為、ゲーム製作関係者は今後はこの点に留意すべきである。 / ああ。外、出ました。春の気配につられて、数時間ぐだぐだしたのち、出ました。定まった経路を数十分歩き回って帰宅。定まったコースであるけれども散歩というのはなんともすばらしい。どこがすばらしいのか、と言いますと、教えてあげなーい! ってくらい、すばらしい。基本的に「一見して、大事なこと」はここには書かないことにしていますので。「一見して」っていうのは皮肉ではない。ここに書いている見るからに無意味そうなガラクタにも実はトンでもない価値がある、という可能性を捨てきれずの心情が表れている、ということ。 十七時五十分 そうして、グッとくる日記サイト探しに繰り出した僕は人様のはてなアンテナをはしごしながら思う。「○○(サイト名)を含むアンテナ」というのがありますが、もっと絞込み検索で「○○と○○を含むアンテナ」なんてのがあれば楽なのになア(早くグッドサイトが見つかりそうなのになア)と思う。まあ今や全国土ユビキタス全国民ハッカー、イット革命(2000-2001)以後の黄金の電脳大国ジャッポン(日本)ですから僕の理想とするソフトウェアがどこかに出現していてもよいではないかと思いますが、 2008 年にもなって日記サイト探しなどしている人間存在、すなわち該当ソフトウェアの需要は非常に乏しいことが予想されますので僕の願いはあっけなく一足早い桜吹雪となります。 十八時十五分 ギャー。駄目だあー。何が駄目かというと優良サイト探索がダメです。あんな無味乾燥なアンテナ! なんて! 見て! られ! っ! か! よ! よよよよおおお! てなカンジで先程補充されたエナジー(energy)は早くも体中から放出され僕はといえば夜はまだまだ長いのに一足早く桜吹雪……それさっき言った、と思うと同時にこれはテキストサイト的手法だなあと一度感慨にふけったのちにテキストサイト的というよりはお笑いの手法なのだ、ということを納得する。つまり言いたかったことは優良サイト探しにはリンク集が欲しい、と。気の利いたでも拙いでもいいから出来ればコメントのついた、まあついてなくてもいい、リンク集っつうのはアンテナと違ってどうしても云々 十八時二十五分・十八時半 「文化的な生活を営みてえ」。これがここ数ヶ月の僕の願いです。あーっと。 / うーん日記のタイトルに句点をつける処は個人的には信用ならない。例示すると「日記のタイトルに句読点をつける奴は信用ならない。」というようなタイトルをつけるサイトは僕はあまり好んでいない。とかいうことばかり言っていると友達なくすぞ。 2008.02.09 のさばってもいいかしら 死!! わたくしの部屋の二つあるカレンダーのうちの片方は未だに十二月を指し示している!! ということを本日の日記の日付を記す際に気付いたのであります僕という幾何でございるます。オッハー。現在午後四時五十五分であるのは蹴飛ばしてしまうとして、前回の 2008.02.05 から今回の 2008.02.09 の空白のろく、しち、はち、三日間、えーこの三日間なにが私の世界に降りかかっていたかは皆様御酌量のほど、本日の文書をお楽しみ戴けたらわたくし恩に kill とでも申しましょうか、もうしません。もう、しません。ここから約一行を省略。それは俺達のプライベートにかかわることであるからで、さらに説明を付加するならばボクは「プライベートにかかわる」などと発言することによってプライバシーの権利というものひいては誰が定めたとも知れぬ法律の効力が我々にも及んでいることを認めていることを宣言することにもなりかねず、そういう誤解を避けたいと日々願っていた俺達は、しかし願っていただけでは世界を思いのままにすることなど、ことなど……。帰ります。 2008.02.05 フラスコと微笑 先っ生ぇ! おもしろい文章が書きたいデス! 久っびさに、書きたいッデス! というのは、今日も気分が乗らないワタクシは、手持ち無沙汰に任せて HDD の中を彷徨い歩いておりました。とはいえども開くファイルと言えば我が「妄誕F」のログくらいで、キャー自己陶酔! 桃! バナナ! アボカド! と今夜も自分の書いた文章を読んでニタリニタリと洒落込む腹積もりでおったのです。ええ、ええ読みました。読みましたのですが中々気分がノッて来ないのです。まあ、こんな日もあるさ……と呟きウィンドウを閉じ、また HDD を彷徨う私でございます。ふと、考えが閃光しました。思い立って、開いたファイル。昔、二年くらい前に書いていたモノであります。諸事情により此処では紹介できぬのですが、ワタクシ、二〇〇六年一月の昔から日記サイトというものをやっていたのです。本日、初めて致す告白でございます。んで、このザマよ。恥じかしくて世間に顔見せれきねー! って長らく封を印していたボクのインディーズ盤がよ。改めて聴いてみるとナカナカドウシテそこかしこにイカレた諧謔が散らかしてあって、どうにもこれはウハッえっとトゥルトゥルトゥのろのろギラリえっゴトッばらばらひらひらパンパカパーンだだだだだスタッげへへへゴボゴボひゅぅー、ってなんかアアいう感じで中々楽しめましたもので、なんつか今再びネタ系(文の内容を重視する系)に挑戦してみてもイイんでねの、と思い至った私大でございますッす。文章だって短くてよいのでごだいます。あー(本筋とは関係ない感情を込めた欠伸)。 2008.02.04 本日の雑感 〜however creamy I feel〜 さあ。さあ……大学受験前にも関わらず朝の 11 時にもなってパソコンに向かって独り言を呟いている、ということを恥ずかしげもなく宣言する遅れたマインドの僕〔幾何{管理人(筆者)}〕です。例えば一人で食事をしているときなんかに脳裏に湧き上がってくる狂った会話文をこの場(サイト上)にデビューさせてスポットライトを当ててやりたいと(いやライトが当たろうと目論むのは僕ですけど)思うのですが、いざキーボードに向かえばろくな言葉が出て来やしない。ならば脳裏に浮かんだうたかたを捕らえて電波に乗せれば(即ちアイデアを記憶しておいて写像する)良いではないか良いではないか。と言う奴が居る。くそ。くたばってしまえばいいのに。と、少しばかり荒っぽい言葉を使ってしまうのはやっぱりその方法も不可である、と言いたいという意味だ。単にそれは面倒だ。面倒だし、……面倒だ。やっぱり面倒だ。面倒なだけだ。キーボードに対峙し、瞬間瞬間に浮かんだ念を素早く捕らえて打ち込む! 素早く捕らえて打ち込む! これだけが 妄誕F に許された唯一の生き様だと思っていた。だが。しかし……。あ、見ろ。なんか電線にすげえ鳥がたくさんとまってる。見てこれなにあれ。しかも逆光で何の鳥か分からないでやんの。サイズからして雀ではなさそうだ。えーなんだろうスゲエとまってんでやんの。生き物全般、特に小動物に言えることですが、あんまり沢山いると気持ち悪くなってくるのですが。何故なのでしょうかこれは。幸い鳥はまだ飛んでいっていないので群を眼前にして考察を続けます。その一。単一の生き物がその“場所”を埋めることへの不快感。グロテスク感。というふうに形容することが出来る。かも。場所を埋められるということは日常の喪失である。でわ単一の生き物であることには何らかの意味がおありで?。例えば動物園(zoo)に暮らすかたがたが一挙に一つの檻に集まった状況を想定してみる。それはグロテスク、と言うひともあろうが、私は(僕は/俺は)むしろ滑稽、荒唐無稽、ファニー、クレイジィ、インタレスティング、ついつい衒学趣味( )に走ってしまったが、そういう印象を受ける。しかし単一の生き物によって支配された“場”はひたすらグロテスク。……っタァー。今、烏(カラス)が来てさきほどの鳥の大半を追っ払ってしまわれました。あな口惜し。もうちょっと居てくれればもうちょっと深いところまで遊びに行けたのだがなあ。いやー今だって思索はできるだろうというアンチャン、確かにあなたは正しいけど、僕はその気を失くしてしまったんだ。ね。そういう。鳥に乱入される前(ここで鳥以前・以後という区分が生まれる)、何の話をしようとしていたのだったか。そう、そー、だから、パソコンに向かっていないときでも由無し事は心に移り行くわけでして、そんなときはグッと思念を心に留めてですね、パソコンに向かったときにパッと咲かせてやれば俺も面白い文章を書くことは夢でねえのではナイカナと思ってみた、てな結論です。 2008.02.01 日常のケッペン(欠片) 12:51 特に書きたいことはありません。その承知の上で書いているということはやはり書きたいことは実際にはあるということになりその書きたいことというのは書きたいことがないということでそれが珍しいことだと感じているから書いているのだろうが別にそれは珍しいことではない。実際、これ以上の文章が思いつかない。 12:53 しばらくテキストサイト及び日記サイトを読むことに専心したい。 12:59 ああ。ちっ。そろそろパソコン閉じますよ。テキスト系でもエロやグロな内容をサラリとコモン=センスであるかのように<使う>のは嫌いですね。ですね、って誰に同意を求めているのだろうと自分で言う度に思うんですけど、ね。やっぱり“ここに”存在しない誰か(モニターの向こうの人、ではない)に対して一人語りしている場面設定で俺は書いているのかもすれない。 13:03 いや。閉じたら文が書けなくなってしまうので一時休止としたい。する。先ずは昼ご飯を食べる。いいかげん恵まれすぎな生活である。むう。あとは大学受験がアレアレなので勉強をする。所謂赤本での学習が主。ていうか何がしたい。こんなこと書いて。ブログ気取りでしょうか。 13:29 容器を直接コンロにかけて加熱&調理するタイプのうどん装置により食事にありつく。調理の為のガイダンス欄に「ひと煮立ちさせたら」という記述があり、料理の経験に乏しい僕は(或いは料理に関する用語に疎い僕は)ひと煮立ちとは一体どういった状態を指すのだろう、と思う。が、そこは他の例えばインスタントラーメン等と要領は同じだろうと軽く流して自分なりの「ひと煮立ち」を施して事なきを得る。水を沸騰させている間、日記に載せるため一度、いや完成直前を併せると二度、カメラ(携帯電話)を構え、剰えデジタル写真を撮影し、剰えそれを自分のパソコンのメールアドレスに送信したものの、それでは単なる日常の記録であり、我が 妄誕F の理念に反する上、一旦こういった暴挙を許してしまうとあとは際限なく詳細に渡って日常を記述せねばならぬとの脅迫に怯え、果ては食事のときに感じたうどんの味の描写、果ては食器を洗うときの水の冷たさの描写、果ては便所に入って用を足すときの描写までが必要に感じられ、それは筒井康隆「虚人たち」ではないか、と思い直すに至る。 13:41 ところで俺はこれから(家族のうち誰かが帰宅し次第)受験する大学への道のりを下見しに東京都まで外出しなければならない。そして外にはパソコンを持っていけない。さらに 妄誕F はブログではないので携帯電話から更新することはできない。よって日常を記すことはそれ以降は不可能となる。どうすればいいのか。ただそれ以上の悪ふざけを諦めればよい。その程度の執着しか持ち合わせてはいない。 13:44 ところで近頃ひそかに覗いている遠くで聞こえた銃声(a.k.a.谷間の百合の人)にすこし前に掲載された「心に残った小説」で、七位に『黒死館殺人事件』が挙げられていたのを見て、僕は(※一人称変わった)いつだったか『ドグラ・マグラ』について検索していたときに Wikipedia の「三大奇書」の項からその本の概要を知っていたことが関係して「読んでみたいな」、と思った。思ったよ。嗚呼、思っただけです。さっきまで記述モードでしたが只今通常モードに戻りました。もうちょっとだけ「独り言」を言うと、谷間の百合の人はウェブ上で僕が最も恐れている人の一人で、まあ理由はわざわざ書かずとも分かると思いますし以前もどこかでそれとなく言ったのでここでは書きません。まあ、そんな畏怖の対象であるところの彼(彼女?)のランキングを見てひとつ安心(というか……)したのは、と以下そのアレを書こうとはしましたが非常にアレで即ち他者を用いて自分の醜い部分を晒すのは心苦しいのでやめにした次第です。それにしても 163 も挙げている時点で俺は完全に打ちのめされる。自分とは別世界に住んでいるひとが確実にいる、というのを強く感じる。 14:02 あと『ドグラ・マグラ』も読んでみたいのだがな。『涼宮ハルヒの憂鬱』も。僕なんかマズいこと言いました? まあ読んでみたいはみたいのだが実際に行動(書店に出向いて購入)する段になるとウーム、とか言っちゃうのが僕の人間しての弱さだ。あと『優雅で感傷的な日本野球』『二十世紀旗手』あたりも。その前に弟が持っている『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』や読みかけの『方舟さくら号』も読まねばならん。とか言って(作品名並べて)悦に入るが、その前に挙げてる作品をなかなか処理できていないことに気付くべきだろう。 14:11 とか言ってたら際限ねえな。時間の浪費加減もだし、その辺うろついてみりゃ読みたい本なんて沢山あったのだった。ちゃんと受験終わらせようっと。 | |