2008年01月 |
2008.01.30 今度は僕が煮沸する番だ <belong教> でえーと妄誕Fを読んでいる皆様に注意しておきたいのですが例えばの話、インスタントラーメンを煮る際に味が薄くなりそうだからといって塩を余分に入れないでください。インスタントラーメンはそれ自身で完成し切っているのです。完全に閉じた生態系、それでいてガラス細工の花のように調和を乱されやすい。即ちは、しょっぱい。というよりは塩辛い、という形容が似合う塩加減をもって僕はインスタントラーメンに拒絶を受けたのです。ハンムラビ法典に則って塩には塩で同害復讐を被ったのです。自業自得とも言います。ともかく塩辛いラーメンというのは気持のよくないもので、如何にも塩分過剰摂取という感じがして罪悪感、脳に塩が溜まっていく感じがして倦怠感、どっちを見ても右手に辞書、左手に漫画本という体の(直前までの文脈とは関連ありません、そしてこれ以後とも一切関連しません)ボヘミアン・ラプソディー。ここで思い立って僕は Queen の名曲、「Bohemian Rhapsody」の歌詞をインターネットで参照しつつ聴きます。6分くらい。……――……鑑賞終了。ガリレオガリレオの周辺がお手上げに解せませんでした。まあ詰まり今日の執筆動機も「テスト前だと更に勉強しない天邪鬼さ加減よ」、だった訳ですが書きたくないからか読者の目を気にしているのか書けることがないからかなんなのか、核となるべかりし主題については触れていませんね。よーし今日のパソコンはこれで終わりだー終わりだーあー。終わるぞ。電源切るぞ。「これは」と思う日記/テキストサイトを見つけることは大きな幸福の一つだ。 2008.01.29 何か(what I am doing)。てわ。 矛盾。矛盾よ矛盾。いやはや此処まで来てみるとコイツは矛盾というよりは寧ろ、……(おもむろに椅子を立ち、雨戸を開けて外の冷えた空気を吸い込み、雨戸を閉じて電子辞書で「雨戸」の定義を確認する)、で、……(それでも安心し切れず、 google イメージ検索で「雨戸」の画像を見る)、あ! 違う! 危なかったったった(「危なかった危なかった」の略)……今の訂正。雨戸→硝子戸、で。いや。「ガラス戸」、で。ハイ。うっかり気を許すと like this の枝葉末節にしがみついて大空へ舞い上がると認識する暇もなく宇宙空間に放たれとか言ってるうちに土星の輪を構成する塵のひとつとなるボク日記なので気をつけました。もー既に鬱陶しい括弧註釈とかが満載である訳ですが。で。横道逸れたよ。いつものことですが(定句飽きたよ)。ここで今一度確かめるのですが、この文章の<読みづらさ>は一体何事なのでしょうか。あんね、でも僕は丁寧に文字を打ってますよ。回線の向こうでは「お、或る種、整合のとれた文章が書けてるな……よしよし」と思っている筆者こと幾何こと○○○○(本名)が居りますよ。居られますよ。だッはー。まあただ、「“或る種”整合のとれた文章」と、「読みやすい文章」ってのは絶対的に別物なのでして、そこらへんがなんかもうなんかもう泣きべそかく位にレモンを絞って絞って舐めたら酸っぱい!! っていうえー、まだ本題入りません。だから結論を言うと、読みづらい文章でゴメンネ、という話であり、それなのにドウシテ読んでくれているの、という話であり、申し訳ない&感謝の一方不思議だ、という話なのであります。でもえーと(……)。 でさ。今日も僕は矛盾を感じているわけです。この矛盾は大学受験が近い(majide近い)のに。近い筈なのに。いやもう近いって二週間は軽く切っている。近い近い近い近くて遠い、みたいな戯言はもう飽き飽きされているかも知れないと恣意的に軌道を微調整して、つまりまーテスト近いのに勉強しない、つー、アレです。ちょっとこのことに関する反省やら自戒やら自虐とかは今日はお休みでして言いたいことは、コイツは矛盾なんてもんではなく寧ろ積極的に緻密に複雑に完成しきった閉鎖的システムなのであり自分でも何言ってんか分かりませんけどそういう何かで、あとはただ論理的に納得してないのみなのではないか。と。いうモノなのかも知れないけど、ただもうこのザマというのはどのザマでもなくこのザマなのでして、自分が自分である故に直視を免れないかと思いきやこの状態を鑑みるに直視どころか一瞥を与えて素通りなのではないかと呟く日々もこれまで、そう言いつつそろそろ足踏みも止まるか止まるのかどうなのかという状況、といった状況でしょうか。えーとあと、なんだったかな、まあとりあえず俺は世界をナメてるんだと思いますよ。えーっと。 2008.01.25 アイネクライネその弐 嗚呼ー。休みなんだから休ませてくれよ。もう一度言う。休みなんだから休ませてくれよ。もう一度言うぞ。休みなんだから休ませてくれよ! 嗚呼ー。 2008.01.23 ヒャー。 検索ワード「診断書」で来られた回数が三度に達したので、 Web サイト名を元に戻します。妄誕F。ついに「妄誕」を辞書登録しました。「なんだ、『妄誕』で検索して来られるのはいいのか?」と思われるかもしれませんが、ガッテンです。すなわち、左様でございます。人以為妄誕。固請点之。僕の『妄誕』というコトバとのファースト・コンタクトは古文の授業でやった「画竜点睛」でしたし、そしてそれ以来は司馬遼太郎の本で見かけたっきりで(僕の視野が狭いだけのようですが)、んー while 一方、「診断書」となれば連想されるのは医者、となれば連想されるのは病気、となれば過激好みの日本人に言わせればソレは死、 death に近接する状況を意味すべき斡旋で、そこに此のようなオキラクウェブが首をモタげるというのは気苦しいことで。つまり言いたいのは妄誕で検索に引っかかっても痛くないね、というコツコツパタパタヒュルヒュルゴオオ。そもそもそろそろ退却しまっせ。 2008.01.17,19 詰め合わせ抱き合わせ間に合わせ(消したくならない内に上げておこう) 命令に背くことは悪いことだ。ただ、私は命令者も同様に悪いと考えている。こんなことを言うと、「それは善悪の判断以前の問題だ」と鼻息を荒げ、耳を紅潮させ、目は充血し、口元は小刻みに震え、今にも飛び掛って噛み付きでもしかねない気配を露骨に漂わせ、相手に警戒と軽蔑と怯えの混じった感覚を覚えさせることを生きがいとしている数多の諸君には、大いにパソコンの電源を付けたり消したり付けたり消したりして欲しいし、なにより僕も今からそうするつもりだ。誰だって一人でするのは気後れしちゃうけど、とにかく僕が隣でパソコンの電源を付けたり消したり付けたり消したりしているうちに、少しでも君の心が軽くなってくれたらと思う。そう――少しでも。一頻り君の心を休め、もういいかな、という頃、僕は突発的に傘を取って土砂降りの空へ乱暴に駆け出してゆく。安心しきっていた君はひどく驚いて僕を止めようとするけど倒れ掛かってくる巨大コンニャクを跳ね除けるのに精一杯だ。四方八方から迫り来る巨大コンニャクを必死で押し返しているうちにいつしか君は楽しさに似た感覚を覚える。「楽しい」とはちょっと違って、でも確実に悪くない感覚だ。次第に、積極的に巨大コンニャクを受け入れはじめている自分に気付いてそれを恥じる。我に帰った君の足は心なしかフローリングに数 cm ほどめり込んでいるようだ。そんな様子を僕は喫茶店のテラスから眺める。手にはコーヒーカップ、あついカフェ・オ・レが溢れ出す機会を狙って、今か今かと待ち望んでいる。大人しく我慢しきれずにカタカタ震え出すカップに舌打ちしながら、ふと時計を見た。「時計を見る」という動作には「時間を確認する」という意思は含まれない。――ふん。僕はおもむろにコーヒー・カップに口をつけかけて、一瞬、目を最大に見開いたあと、急いで飛びのいた。続けて、ポケット(あるいは小テーブルの下、あるいはウェイターの口の中、あるいは第四次元の座標上。ともかく胡散臭い場所)から脱脂綿を取り出し、手のひら大にちぎり、今にもカフェ・オ・レが暴発寸前のカップに押し込んだ。カップの底からとてつもない力を感じ、僕は少し怖れた。このときのカフェ・オ・レの抵抗は尋常でないものがあった。暴れ、怒り狂い、しばらくののち、不意に動きが鎮まった。僕は必死で気付いていなかったが、これがカフェ・オ・レの最後の意地であったことをのちに知ることになった。ただ、そのときは早く脱脂綿にカフェ・オ・レが染みてくれるといいんだが、とぼんやり思いながら時の経過を感じるともなく感じていた。 いつしか僕はバイクに乗っている。見渡せば一面真白い砂、砂。砂漠というよりはただの「白い世界」とでも称したいところだ。バイクは不審なほど快適に無数の砂の上を滑る。目線をずらせば、ただ青色が一面を塗りつぶしていて、空は空としか形容のしようがない。そこで何故かバイクに乗っている僕の頭の中は巨大コンニャクと君のことで破裂しそうだ。君はまだあの巨大コンニャクと格闘しているのかい? いつまでも続ける気かい? どうしても……そこがいいのかい? つい、口に出して、涙が溢れた。カフェ・オ・レの涙である。 2008.01.14 センターセンター うわッ切ない。これは。いくつかある僕の劣等感の中でも特に致命的なひとつが「作品を語れない」ことであります。気付いて! これは自分語りのサインです。作品を語れない代わりにといっちゃなんですが僕は自分を、自分を語ります。作品をとりまく現状であるところの自分を語りますは本筋からは外れ気味なのですが、なんのやら僕は作品を語れないことを語っておきたい。専ら、自分のために。ためになるか知らんが君たちの為になるとは思えないし、語ることで失われることがあるかもしれないけど、ちょっとそのへん考慮してる余裕みたいな豆腐のようなモノが崩れ気味というか崩したいというか既に崩れている可能性もあるけど前置きはここまでだ。「作品が語れない」とは言葉足らず甚だしきお言葉だから詳しく現状を記述するけど、ここで言うソレというのは畢竟俺が作品に入り浸る生活をしていないから言葉が溢れないのだ、というところであります。勿論メモ帳前にすると言いたいことが言えない、とか、ありますけど、無論あるんですけど、今、最も憂いたいのはアアいうことなのです。とかく家帰ったらアノ小説の続きを! とかが絶無で無為無為の無為な生命活動を謳歌している状態が非常に頻繁なんである。読んだ本の蓄積とかが自分で許せない程乏しいんである。これは切ない。俺って一体何して生活してんだろ、ってのが毎朝毎夜今週も来週もあさっても過ぎては来る悩みであって、それを毎度毎度“惰性”という行動原理によって一瞥を投げかけるだけで布団だから所謂「なんも変わっていない」。サイトを立ち上げた当時から言ってることも変わっていない。それはそれで正しさを含むのかも知れないし元々彼らとは性質が決定的に違っているだけ、かもしれない。話が一足飛びをすると彼らが小説に心酔したり音楽に没頭したりの間に僕はくうねるくうねる同然の生活を直線で続けていること、そして彼らがあの小説のどこが素晴らしいだのあの音楽のどこが狂気だ戦慄だなんだのと述べているのを目にするにつけ自分の生活が薄さが反省されてその瞬間だけ自分が憎く思えてくる。これは切ない話で。とにかくなんだかもうあのえーとさこれいやなんともああああ。というわけです。なんだろうなあ違いは。今日のタイトルは「センター近いのに」、という意味ですよ。センターそっちのけで悲しいお話だぜ。とも思ったが結局は中核的なことはあまり語れませんでしたね。あ。……そ、そういうことだったか俺の性質ってのは。そういえばそうだった。と言うとまた仕方ない論に舞い戻る訳ですが……。どうすべ。 2008.01.02 不条理系・具合見 新年早々ノミの心臓大学受験乗り物棍棒それでもいいのかと問われれば棚に載せたギターという名のベースをもぎ取って繰り出すは京都府町田市喧嘩小僧の待つ桟橋クリニック、俺は一番ダンテが好きで君は一番背が高いだけど会えない桟橋クリニックに繰り出せば町中はキリスト教徒で溢れていて僕はその場でしゃがみこんでしまう。やはり今夜は本堂に戻っておとなしく膝を浮かせてテレビを見ながら漂う声に包丁を向けて火を点けて沸騰したら麺を入れる。その間に人参、ピーマン で、そういうのはテキストサイト的じゃないのか……と泣きながら 床には青色の茸が生えている。床というよりは芝生に限りなく近く、でもどうしても床だ。そんな床に茸が生えている。まあそのくらいは許そう。ゆっくりと、そしらぬ顔でモニターに目を移す。……茸をちらと見る。可愛らしいではないか。その茸は前述の通り青くて、白いつぶつぶが付着していて――あるいは吹き出ていて、それを意識する僕はなんだかとても悪い奴なのではないかという気にさせられる。これを書いている今も、心の深くに芽生えた暗黒は 1.2m/s2 の加速度で広がっている。既に窓の外は一面無色だ。黒なのではなく、光が完全に遮断された、完全な無色。キーボードもモニターも見えなくなった。前後左右方向感覚さえ失ったのがはっきり感じられる。苦々しく微笑みながら目を移せば、腹が立つほど鮮明に映る青い茸。当然可視的事象はもはやこの青い茸しかない。仕方なく目に焼きつく青い茸。どうやらさっきより小さく縮んだように見える。いや。明らかに縮んでいる。縮んでいく様子が視覚的に捉えられるくらいの速さ。このままそいつの量がゼロになれば僕は目の中に青い茸を得る。消えた。もう何も見えない。見えない。方向。重力……これだけは感じられる。それから……言語。僕はこれから彷徨を始める。青い茸だけが僕に伴う。 だからあのー俺に笑える文章を書くのはなんというか無茶だし、せめて笑わそうとする文章を書くにしてもそれは珍しい精神状態に於いてしか実現しないものである 「困ったものです」 |