閉鎖文とそれにまつわるいろいろ

2008.12.24:ええーっとねえ。……いや。いやいや。違うんです。違います。復帰じゃない。このスペースはもう使うまいと決めたのだから使わないつもりなのですし、はてなに懲りて戻ってくるにはまだまだ早すぎるっつうか僕はすでにはてなという仕組みになじみつつあります。全体を包むあの雰囲気は馴染めないけど。そーれで、僕がいまここで html ファイルに書き込んでいるのはほかでもない、ちと連絡がありまして、すなわちアクセス解析を見るに未だ「妄誕F」で検索して来ている人や、また「nullmullpool」から来ている人が確認され、敏感な良心をもつ僕としては何らかの反応をせざるを得ない、わけ、です。さて話題のナゾのアクセス、その意図は僕が推測するに、たとえば「幾何は妄誕Fを閉じたと言ったが、数々の前例が示しているとおり、奴の宣言はまったく信用ならない。一週間くらいしたらヒョッコリ更新しているのではないか」と訝り連日訪れているか、もしくは最大限いいように見れば「どうか更新してくれよ」との願いを込めて無言の訪問を繰り返しているとか、あるいは robot か? だったとしたらこの文章は全くの徒労、と、なる、わけ、です、が、……。ちゅうかWindowsの右下に表示されてる時計見て気づいたけど、今日はクリスマス・イヴでしたね。でも割とどうでもいいです。僕が興味を示す季節的行事はエイプリルフールと夏休みと、、ぐらいですから。今「ヴァレンタインデイ」と付け加えようと思ったんだけど、いろいろ不都合なので(非モテ文脈の侵入とか、この感情の複雑さとか)やめときます。こりゃ関係ないな。あのーうん、あのー、ともかく先に述べたアクセス群に対する僕の反応はこう: 言ったとおり妄誕Fは今後更新しないつもりです。今ははてなダイアリー(http://d.hatena.ne.jp/misunderstanding/)で書いてまして、妄誕F的な日記もちょくちょく載せていくつもりです。取捨選択というよりは統合ですんで。もし、どうしても妄誕Fが必要なんだョ! ということになれば、はてなの方で announce しますので、まあ苦痛じゃなければそちらを定期購読していただきたく思います。……以上、なのだが、もしかして過去ログなんか読みに来ているのかも知れず、であるならばまったく大きなお世話、 the great care でしたね。アクセス解析なんかつけっぱなしにするからこういうことになるわけで、まるで「オレは見ているから! まだ来いよ!」と言っているようなものだ。どうしよっかな。じゃあアクセス解析は今月一杯で外すことにします。……はい、まあ、なんかそういうことになっております。でも検索して来ている人は単に読みに来ているのならお気に入り登録でもして労力を削減すべきだし、検索という行為になんらかのメッセージをもたせようとするならば、すこし読み取りづらいというか、僕ははっきり書かれていないと不安になるタチなので、なんかメールなり「アシュタサポテ」式にグーグルの検索バーに「妄誕F -ここにメッセージ」の(ここにメッセージ)欄に言いたいことを乗せて入力ののち検索し当サイトを訪れるなり、はてなの方の掲示板(http://d.hatena.ne.jp/misunderstanding/00000000)に書くなり、とにかく内容を明確にして伝達していただけると助かります。人間関係の機敏のわからん奴ですいません。以上こんな感じでいいかな。か・な・り 独りよがり、な予感もずんずんするけれど、心配症なもんでね。


 あー。えーっと。すっかり閑古鳥カアカア、もやしっ子が輪になり踊り、焚き火を囲んでジャンケンポン、あいこでしょ、あいこでしょ、ヘコーでまあこうして無意味な出鱈目を紡ぎだす感覚も懐かしく思い出される今日この頃のテムズ河幾何なんだけど、どうよ。どうよというか、どうよ? わかるよね? こうしてメモ帳を開くと性懲りもなくためらいもなくこんな風に無駄語を連ねてしまうわけだけど。いや。うん。こうしているとその、 妄誕F も捨てたもんじゃねえんじゃねえの、という気もしてくるわけだけど。ああっ。言った。言った言った。それが本題だ。僕は今、 妄誕F を捨てようとしている。参ったな。もう少し精確を期するならば、この 妄誕F をこのまま放っておくのはあまり(たとえば風水的に)良くないんじゃないか、と思って、だからひとつ、区切りをつけておこう、と思い立った次第なのでありますが、皆様どうでしょう、ていうか、最早やここを覗いている存在というのはあるのか、という疑念、いやあ「という疑念」、なんて、あんまりな言い方ですよねえ。疑問文にした時点で「疑念」なのは疑うべからざる事実なのだから、わざわざトートロジーというのですか、無意味です。この「○○という△△」という言い回しは○○を眺める別の視点の提示であるわけで、ま、疑念を疑念である、といったところで面白くはないという説明ですが、 doudemoiidesuga, それでまあアクセス解析なんぞ2週間ぶりくらいに覗いてみるわけですよね。いや2週間は言いすぎだった。1週間くらい。その程度は俺もこのサイトのことを気にしていたっていうか、そういうこと言うと媚態と言いますか、なんかいい香りがせんでやめておきますが、
 …………ん? なんだっけ、や今、アクセス解析を眺めていた流れに流れて文章書くのを中断して別のサイト見てたんですが、ですがまあ、しかしこれが更新停止宣言とは思えないね。うん? 一応言っておきますがこれは更新停止宣言なのですよ。ふつうの日記っぽいけど。いやでも普通の日記でもって更新が停止するのも「日記サイト」っぽくて宜しいと思いません? さてまあそうだな、そんな有様でして、だら、だら、と書き連ね隣の柿は青い、よおく柿食うて脚注、それだからアレコレしているうち、丁寧に辞世の句やら遺言やら卒業スピーチやらをアレする気もすっかり失せてしもうたので、業務連絡的諸連絡に入りたいと思います。いや。入ります。入りたいと思ったらばそれは「入る」に決まっているのであり、そこに「〜したい」は不必要だ、日本語の誤りだ、日本語の危機だ、と僕自身は思っているのですが、どうやら日本語の用法に鋭敏と思われる人々にあってもこの手の「〜したい」を使っている例をみかけて、いかがせむ、と胡坐かいて腕組んでるところですが。ま、なんだ、まず、この後、このサイトはどういうポーズをとるのか、というとこから。みなさまの推量し予想するように、ここ数か月はあちら側につきっきりだったわけじゃないすか、したがいまして今後ははてなダイアリー:http://d.hatena.ne.jp/misunderstanding/にて日記を、ここに書いてるような日記もまぜて、上げていく気持ちでいます。遂に幾何が折れた! 伝統的な日記サイトの終焉が! など思わんでもないんですが、そのテのサイトって探せばまだあるもので、べつに僕がそれを担うことはないっていうか、そんな大仰なことを吐く前にそんな期待をかけられた覚えはないわけですが、そもそも僕は懐古趣味ってのが嫌いなんですよ。実を言うと。いつまでも過去にこだわってたら前に進めないじゃないですか? そうじゃないですか。そういう意味でないですか。温故知新という言葉もありますし。まあそれでも古きは訪ねたり温めたりという程度でいいと思いまふ。思いまふ、ってなあ。そういう意味でもないですか。なるほど。伝統を受け継ぐ。ほいほい。まあ僕は僕なりにテキストサイトないし日記サイトということに対する思い入れもあったし、あったんですが、伝統つうものがそれほど大切だとは思えなかったりもしてな。実際のところ。まあ十九歳の若造が言うてることですからまったく信用なりませんが、いわゆる無常観ですよね。軒を並べて甍を争っても二、三十年経てば残るもの二、三軒でしょ、というアレですね。万物イズ流転なんでありますね。諸行が無常して地球がまわればエントロピーは増大するわ地球は温暖化するわでウハウハ。まあそんなわけで巨視的視点から見ればあらゆるものはかつ消えかつ結んでいるのみで、「残す」ったってあなたの一生、せいぜい百年程度でしょ、という思いが常にある。死んだらぜんぶ終わりだよ。だもんで僕は伝統を受け継ぐ的な考え方にもノリ切れません。残ってないならないでいいじゃん、と思ってしまうな。偉そうですが、今から発して作り出す、ということに重きを置いていたい。で、そうして政治的あるいは社会的な立場からの日記サイト、という選択肢が消えた今、これを続けていく立場としては専ら「趣味」しかないかなあ、と思う。そいで僕はそいつを選択しません。うーん、それは僕がブログにそれ以上のものを見出してしまったんだろうね。簡単に言うと、
 「俺は反応が欲しいんだよ!」
 ということでしかない。正直言って、タグ打ちサイトとブログとの最大……いや、唯一の違いはそこだろう。反応が得やすいか、得にくいか。ま、そういうことです。反応がきた方が面白いっす。ここをそれ用に改造する、という手もないではないですが、それ相当の技術力も技術を学ぶ根気と意欲もありませんで、ある程度出来合いのもので充分だろ、と考えております。ああ、決して反応のこないタグ打ちサイトが絶対的に比較的悪いと言ってるのではなく、むしろ人の目気にせずに自由に書けてしまうという点はかなりの利点でしょう。このサイトの場合、記事ごとにページを分けるということもしなかったことであのにっくき(冗談です)はてなブックマーカー連中に突っかかられることもなかったわけだし。それ以前に言及する価値のないサイトであったことも反論する気の失せるほど真っ当な事実ではありましょうが。うーんと。書き手としてはそんな感じでしょうか。つまり、この前時代的タグ打ちサイトにも依然、“強み”は存するわけです。したがって、これを完全に捨ててしまうのは勿体ない、というか、堅実でないというか、実際んとこ、こう、またここを更新する可能性がなきにしもあらず、という心情の有様であって、正確には「レギュラー更新の停止、メインがブログになります」ということなのであるが、これを「Web2.0に取り込まれてしまった一日記書きの悲劇」みたいな見方をしてくださんな。僕は右翼活動家ではなかった。単なる周回遅れなのだ。音楽とかも流行りが過ぎてからやっと聴いてみる人ですから。ですます。ほかにはもうねえかなあ。あとね、数か月前にこのサイトについて記事までたてて「古い、すばらしい」(要約しすぎだろ!)という評をしていただいたことがあるんですが(参照:http://d.hatena.ne.jp/another/20080711/1215783019)、そのときはもうこっちは停滞しつつあったわけですよね。それで案の定というか、ともかくアレで言及されてから数か月しか経っていないわけで、それで閉じてしまうのはなんとなく申し訳ないな、と思うのでひとつ。やっぱり僕はただの周回遅れでした。右翼活動家(この言いようはなんとかならんのか)ではありませんでした。ただアマノジャクでした。ブログ隆盛の今日にあってタグ打ちでサイトをやってたのは、ブログでブログ的な話題で盛り上がっている連中が気に入らなかったからでした。ネットスラングの排除に関してもそういう感覚からです。数年で古びてしまう文章の価値なんてなんぼのもんじゃい、また、ごく狭い集団にしか通じない言葉でものごとを語りたくはないと思っていましたので。ま、ウェブサイト自体は 2004 年くらいからやっていたので、そのまま慣性で、という点もありましたが。あと、「そうした文化にはまるで染まっていない」とのことですが、これは僕自身が出不精であることが大きいです。そういう文化に手を出す気になれなかったし、今でもあまり魅力的だとは思っていないわけですが。ああ、それから、「ただ文章のための文章の楽しみを追求している態度」というのはありがたかったです。実際は思いついたことを思いついたまま書いているだけではありますが、文章そのものの楽しさ、ということを僕は重視しています。今回の移行統合ということに至ったのは、「殻」ということにあまり興味あるいは未練がなくなり、そしてここに載せてるような文章自体はブログにあっても書いていけるだろう、と判断したからです。……んー、結局、ここまでタグ打ちサイトをやってきた理由は、僕がいわゆる「非コミュ」であったからだと思います(「非コミュ」の「コミュ」とは「コミュニティ」のことだと思っていたら、「コミュニケーション」でよかったのね……どっちでも大差ないけど)。これが全ての根源であったように思う。そのときどきの「今」を知らなかったから、昔の時代のまま残っていったわけだ。つまり“化石”、あるいは、“ガラパゴス”ですよね。考古学者なんかには大事にされんのかなぁと思いますが、それよりは個人の判断を大事にしていきたいと思うので僕は、えー。と。思いもよらぬ長文になった。これでも 26 ヶ月かな? 続けてきたので、言いたいことは結構あるんだな。でもまあこのへんでいいでしょう。とりあえず閉じますがもしかしてここを利用する必要が出てきたら遠慮なく使うつもりです。が、ま、ひとまずはおしまいです。今後はこっちをメインに使っていきます。それでは。http://d.hatena.ne.jp/misunderstanding/
(2008.10.29)

 も、もちょっ。もうちょい。待って。どうせいくら書いても書ききれなく感じるんだろうけど、僕の認識として、ブログっつうのはもともと日記書きのためにできたツールであったわけじゃないっすか。違ったかもしれませんが。でもたぶんそうでしょ。だから世相は、あるいは世界は? 日記書きがブログに移行するように動いていったし、日記書きも喜んでこれに応じた。たぶんだいたいの日記書きはコミュニケーションを望んでいたはずだ。ただあの頃、僕のよく知らないあの頃は、人と人とはリンク集、たまに掲示板やチャットなどを通して、ま、適度につながっていたわけだ。でもそれじゃ飽き足らなかったんだろうな。飽き足る人もいただろうけど、「テキストサイトやればモテると思った」という言葉を、僕は無視できない数、見てきた。特別な能力もないから、コミュニケーションツールとして日記をかき始める人というのは、当時、少なくなかったんじゃないかと思う。なんの話だっけ? だからより高度にコミュニケーショナイズされたブログにみんな移行した。……書いてて、ブログってそんなにコミュニケーションに特化したんかな、と思わないでもない。今となってはそれは「イエス」と言っても差し支えないくらいに媒体(はてなスター・ブックマーク・twitter……:そういや日記サイトを捨ててmixiに乗り換える人も多かった)は増えたけど、でもいろんなサイトがサブとして例えばはてなダイアリーを次々開設し始めた頃、そんなにだったかなあ、と思う。その頃、少なくともはてなスターはなかったでしょ。twitterもなかったと思う。mixiもそんなに浸透してはいなかったはず。……書いてるうちによくわからなくなってきた。僕はネット社会の分析をやりたいのではなかった。見てみりゃこの時点でもけっこうな字数を叩きだしているわけですが、まあそういう広ーい話題だ。ともかく、かつての、皆がブログブログブログで溢れる前は、そこまでコミュニケーション機能は強化されていなかったように思う。コメント機能は大きかったと思うけど、それだけでは弱い気がする。トラックバックは今でもパッとしない機能だと思うし。それでも、ん? ???? まったくわからなくなってきた。どうして皆はブログに流れて行ったのか? 流行ってたから? でもそれでそこに定住する? なかなか便利だったからか? 便利だったのかねえ。HTMLに書き込むよりも便利だったからかなあ。んー。思い出して「いちご帝国」の別館「イナスペ」/「インナースペースインベーダー」(のキャッシュ)を見てたらコメントは沢山ついてたみたいですね。やっぱこれかしら。元の人気が高かったからってのもあるだろうけど。でまあこう考えてくるとブログってえのは別段大したサービスでもなかったように思うんですね。にもかかわらず皆こぞってブログに移行していったのは、もう何か巨大な力がはたらいていた(権力を指してるわけではない)んだろうなあ、あるいは、自然発生的に巨大な流れが生じて……と納得してしまうほかない。無理して説明つくるなら;面白そうなのでブログを植民地的に利用してみる→案外便利、楽しい→HTMLが時代遅れなものに見えてくる→かつてのサイトを捨て、ブログに移行→ブログ会社が調子づいて発展→循環。こんなとこだと思います。でまあそれはそれで、今はずいぶんと差別化がされましたから、あんまり悩むこともないです。ブログの利点っつのがハッキリしてきて、僕はそれを選択した、と言えばいいだけだから。なんのためにこれ書いたのかもわからんくなってきた。まあ早い話(それを先にしろ)、「僕がブログを選びとるのは今日の必然であり……」ということか。(2008.10.30)

 ??なんだか結局なにが言いたいん、と突き込まれてしまいそうに感じたので、要約、というか、きちんとした連絡。一、このサイトは名目上終了とします。二、移行先ははてなダイアリー。三、つまり統合しようと思うのだ。使い分けんの面倒だし。四、でも 妄誕F という環境がいつ必要にならないとも限らない。五、したがって、「名目上」終了と言っておく。六、リンクとかアンテナは好きにしてください。七、こんなサイトを好んで読んでくださったかたがた、今までありがとうございました。今後も読むというひとは、今後ともよろしく。八、それでは。


 あー、折角なので、書いたままアップロードする時機をのがしたいくつかの日記をも添えておきます。サイト自体は消さないので一気に読もうとしなくても okay です。だれが読むかは別にして。一番下のは閉鎖文ですね。書いたのは六月末っつーことで、えーまあそういうことで。


2008.08.18 全国批評体系

 ハロー・ハロー・ハロー。気がつけば八月になってから未だ一度も日記をアップロードしていなかったのですけど。本日8月18日になってから未だ一度も昼飯を頂いていなかったのですけど。それはそれなら昼食がまだなら摂ればいいじゃない、という話でしか以上以下ないので、朝、図書館に勉強しに行くゼオと意気込みローソンで買ったカレーパンおよびウイダーインゼリーを食しながらモニターに向かっていきたいと考うる所存なんでアリマスが、ここで事実の整理をしておきたいのです、すなわち図書館で食べようと思いてBUYった昼食をモニターに向かいつつ喰うとは何かということで、これつまり家で喰うのであり、図書館でノートパショコン開きつつアレではないのです。そういう事実関係です。そういう、この厳然たる事実関係を確認した上で先に進みます。その前に俺は例の昼食を運んでくるから、ちょっとだけ休憩ね。……戻ってきました。この間隙、「……」で過不足ない程度の時間であります。10秒くらいです。休憩にならなかったねー。ところで俺はウイダーインゼリーなる代物を口に入れるのはおそらく初(virgin)か、記憶がないほどに遠い昔のことと思われます。初をヴァージンと言い換えたのには浅い意味しかありません。ウイダーインゼリーといえば木ム拓ですね。木村拓哉とヴァージンも関係ありません。二度以上ヴァージンという語を引っ張るあたり、自分がエロオヤジ化している状況をうすうす感じるこの頃なのですが、そろそろ食べていいかな。いただきます。

 ところでね、今日は何をしに来たかっつうと、18日もにっきを上げていなかったものだから(ブログはしっかり書いてたんだけんども)、そろそろ何か濁すためのお茶が必要になってくる頃かしらん、と突発的に思いついたもので、かねてから書き溜めていた「断片」を披露するに至ります。断片いうのは食器洗いなどしている際に、ふと脈絡なく思い浮かぶ謂わば「心にうつりゆくよしなしごと」なのであり、わかりやすく言うと「突如生じる謎のフレーズ」なのでありますゆす。4月頃からそういう謎のフレーズが思い浮かんでは書きとめ、ということを繰り返してきていまして、今回それを発表します。でもあんまり脈絡ないので、えと、あの、まあ、僕のサイトなんぞ読んでいるひとは分かってくれることと思いますゆえ、言い訳はしません。んで、以下。

(1)
 ある朝、手紙が届いた。
 「好きです。某巨大掲示板にて待つ」

 僕は生涯初めて某巨大掲示板にアクセスした。
------

(2)
 口の中に軟らかいような、硬いような、無味・無臭・無形・無音の固形空気のような物質を感じる。その場で噛み砕いてみる。
------

(7)
 「我々は戦うために生まれてきたのではない……、生まれるために戦ってきたのだ」
------

(8)
 「生きることを死ぬこととみつけて、それから死ぬことを生きることとみつければ、生きることがそのまま肯定されるじゃん」
 「それ! 名案!」
------

(9)
 世界は深刻さを回復しました。
-----

(10)
 21世紀末、小・中・高の地図帳に、“月面”の地図が新たに掲載された。月の本格的な植民地利用の目処が立ったのである。
 月の表面積は地球の1/16なれど、そのすべては陸地であり、海がその表面積の7割を占める地球にとって、溢れ出した人口を移住させるには充分な広さであった。
 ――人口爆発。長い間、人類をさりげなく、しかし確実に恐怖に曝し、蝕んできた概念だ。そして、今度の月の植民地利用によって、事態は根本的に解決する……誰もがそう目していた。
-----

(11)
 俺、ハードカバーって嫌いなんだ。ハードってだけで……嫌い。

 ……許せない。
-----

(12)
「私は、ウィリアム4世です」
「端的に言えば、そうです」
------

(13)
"Eri, do you have any power plant?"
"Sure. I do."

(「エリー、発電所持ってない?」「もちろん。持ってるわよ。」)
------

(14)
 分厚い雲が立ち込めてきたよ
 この世ももうすぐ終わるんだよ
 僕は水道をとめて
 その時を待つ
------

(15)
「良し、そんなら僕がその『カレーパン野郎』とやらを退治してやらうぢゃなひか」
------

(17)
 そんなんじゃない。真実はずっと、はるか遠くで、もっと目の前にある。
------


2008.08.15 最終構文

 イスに座って三回転、そのままプールに飛び込み四回転、地球の裏側で五回転……これが当サイトの筆者、幾何の生態です……。そんでこんにちは。幾何ですかどうですか。僕の考えるテキストサイトっぽい冒頭を紡いでみたのですが、もうテキストサイトは終わったと専らの噂もされなくなって久しい昨今、みなさま。なんでみんな元老院とか好きなんだろ。ところで今日、朝起きてびっくりしたんですけど、いやあの、朝起きて、テーブルの上にふと目をやれば、4つのコップが不自然に並んでいる、という呪術じみた光景が目に入ったのです。テーブルの上にコップですよ。いや。テーブルの上にコップが置いてあるのは自然だ。問題は4つものコップが並べてあることで、僕はこれを以って「呪術的」と称した。ホラホラ、コップを4つ並べて一晩経てば悪魔の降臨じゃぁー、みたいなナンカ……連想しますではないですか。連想してもいいではないですか。あまりインパクトがないですか。稲!!! 間違えた、否! 僕はその光景の呪術性を追求したいのではない。ものごとには必ず原因がある。その原因をまあ、そろそろ明かしてしまうと、僕が寝ぼけてやったことです。いやーその朝、テーブルの上の4つのコップを見て、「しまった」と思ったわけね。思い出したんだよ。確かに昨晩、そう昨晩、僕は不意に「明日のためにコップを出しておかねばならない、それも4つ」という意識に迫られ、むっくり布団から身を起こし、家族に気付かれないようソロリソロリと抜き差し足足シノビアシで台所へ出向き、水切りのため逆さまに掛けてあるコップを、コップを4つ、これも家族に気付かれないように静かに手に取り、また忍び足で居間に戻って極力音を立てないようにコップを、そうコップを、4つのコップをテーブルに設置するに至り、任務完遂、安堵した僕は何事もなかったかのように布団に戻っておやすみと洒落込んだのでした。そういう記憶が頭のなかを駆け巡り、「しまった」、僕の奇行が家族に感づかれてはマズイ、と思い、その夜出してきたコップを、また家族に気付かれないように台所の然るべき位置に、そっと戻したのでありました。――さて、しかしこれは一体どういう次第で起こったことなのか。むろん有力な説は「夢うつつの状態で行動した」で、その意味するところについて追求するならば、ジークムントなんとか先生に相談するのが得策でありましょう。しかし、「悪魔にそそのかされてやった」というのも捨てがたいのは確かです。僕は何らかの外的存在に仕向けられ、家族にばれないようにテーブルにコップを配置し、一晩経つと悪魔が召喚されることになっていたのです。それならば大変なことです! もうどうにもなりません。ていうか悪魔がなんちゃらとかとなりのトトロは実は悲劇だったとかドラえもんの最終回だとかいう向きは好きではないのでこのへんにしておきます。


2008.08.05 電子俳優

 何よ。なにか溜まりに溜まった鬱積した「なにか」のしわざかどうかは分からないが、頭が痛くなるほどパソコンと戯れる破目に。そのような破目になり、いやもやそろそろ“けり”をつけるベシと思いてメモ帳を。開いて。この日記。書いて。います。のですが。ね。というか実際まだ夕飯も頂いていないのでしてね。参考までに、今、午後8時になるところ。普段は6時過ぎに頂くのが我が家の夕飯。このようなふるまいができるのも、今は家族の 3/6 が長期お出かけ状況下にある恩恵でございます。いやはやしかし頭が痛くなるほどパソコン、なんて久びさです。ここでひとつ、くだらねえ閉塞ライフをハックできるかもしれない耳寄り情報を披露したいと思います(そういうのははてなでやれよ……)。僕が高校生の約3年間にわたって考えていたことの一端がこれ。えーコホン。「変わりたい」というのは全国凡百一般市民の願うところ非常にポピュラーな desire であると思いますが、これ、願っても願っても、当然のことながらうまくはいかない。まあそれが願いの願いたる所以でもある、……と。そう吐き捨て、諦念と不満のめくるめくワールドに突入していくのが閉塞ベイベーの現代ッ子である我われが辿りがちな道、というかまあ僕がそのようなアレであった訳です。――何を青臭い一席ぶち始めたかと心配のお客様、落ち着いてください、落ち着いてください、この幾何、気は確かでございます、とは言わない。早い段階に達観気取ってるとね、時が経つにしたがって精神年齢が退行しているかのようなふるまいをはじめるのは定説です。定説です。年相応というか、その頃にできなかったものを取り戻しはじめるというか、横道に逸れていたところから本線に戻るようなものです。定説です。定説です。もう限界です。定説を覆すのがすなわちロックなのです!! はい。はい。僕は饒舌でいたい為に日記サイトをやっているのではないかと思います。最近。でなんだっけ。あ。あああ。えーと。「変わりたい」けどそんなにウマくいくわけねー、というところだ。で、これに対するひとつの処方として「えいやっと変わってしまえ」というのがあると思う。たとえば、ある日とつぜんスキンヘッドで登校するとか。あんまり思いつかねえけど。髪の結びかたを曜日によって変えて……って、そりゃハルヒやないかーい! とまあ、こういう羽目のはずしかたも出来るようになってきたわけです。達観からどんどん退行していくよーん。とか書いてるまに、おやまあメモ帳では自動的に改行される量まで書いてしまったよ。でさ。話が横道に逸れる逸れるそれそれるのでマトモな論説やら述べるにはこのスペースは適してないんだけどさあ、続けますよ。続けるよ。アニメとかマンガとかを俺が読まないのは別に好悪の問題ではなく、単に「きっかけ」が今までなかったからに過ぎないのだ。つまりきっかけ次第で僕の食指はアニメにマンガに登山に草野球にシスアドにと伸びていた、あるいは今後伸びる可能性はデンデロあるわけで、それはまあつまらない人間の変化 is by 環境説でしかありませんけど、さてこの「きっかけ」というのが先の議論をつかむカギになる! メモとれ! ノートにまとめろ! すかさず提出して添削をせがめ! 帰ってくるのは3年後! あー! 筆の滑ること滑ること。戻ります。要するに、今まで無口だったんが急に喋りだすとか、今まで文庫本で顔隠して座ってばかりが急に女の子に話しかけはじめるとか、そういう過激にエイヤっと変わってしまう勇気をもたない我々は、ただただボケーっと口を開いて「きっかけ」を待ち望むばかりの存在でした(過去形である意味はあまり突き詰めても仕方ない)。そして、だから「勇気を持て!」なんて激励は無意味に等しい。なぜなら持て、と言われて持てるものならとうの昔に勇者です。いいですかー。よほどの達人でない限り、意思によって心理を跳躍的に変化させるのはほぼ不可能なのです。これは科学的にも実証されています(いるかもしれません)。できねえものは厳然としてできねえのです。ああ、「そうしてグダグダ言っているからお前は駄目なのだ」と。ごもっともだ。ごもっともだから要りませんそんな警告。わかってるよ、ふふーんだ! ――いやあの、僕はここでやさぐれたいのでもないし、やさぐれているのでもないし、つまり貴族的身分をいいことに「パンがないならケーキを作ればいいんじゃね?」と冗談を飛ばしていました。調子に乗りすぎました。すいません。話を戻します。つまりだから「変われ!」と言ったところで実際に変わる可能性はパーセンテージにして 1% に満たないのだと思っています。あのころの僕のように(今も?)、「変わりたいけど変われない」状況には、なんつうか「原理的に不可能」な感じがあった。たぶん、「無理」だったんだ。実際あれは。そこでものは相談なのですが、一気にギュインと変わってしまう能力(実際これ、気持ちの問題というよりは“能力”だと思うなあ。気持ちを動かすのだって能力だ。キャッチーに言うと「人間力」みたいなもの)がない場合どうするかってんですが、これは少しずつ少しずつ変わっていくしかないと思うな。そうだと思うですよ。目の前に壁があるばあい、怪力の人や頭のいい人は体当たりしたりドリルを導入したりして一気に破砕してしまいますが、そうでない場合、たとえばハンマーの尖ったほうでコツコツ削っていくしかないでござんすよ。そう思いますですよ。なぜ自分が突然こんなことを語り出したのか甚だ謎ですが、もうすこしで終わり。ところで「変わりたい・変われない」という種類の人間って、だいたい怠惰なところがあると思います。ほんとはあまり動きたくない。まあでもたまには「動いてみようかしら」という心理になることもある(といいけど)でしょう。そういう瞬間を見計らって動き出すのです。いいですかー。これは一瞬の隙です。小学生の頃とか、大縄跳びで回ってる縄の中、タイミングを見計らって入り込んだことを思い出して。まあなんていうか心理の微妙な動きをとらえて、「このときなら行動できる」というタイミングがありますんで、そしたら無理せずチョコレートでも買ってきたらどうでしょう、と言ってるわけです。何言ってるかまったく分からない感じでしょうか。とにかく自分の習慣、行動規範から少しずつはみ出していく方法、というのを高校のころよく考えたものだなあ、っていう。ずいぶん長くなりましたねえ。書くのに40分くらいかかったぞ。ここまで読んでくれた人いましたら、お疲れでした。ありがとうございました。頑張るぞー。


2008.06.00 おしらせ

 なんかえー、毎度分裂的・優柔不断な行動ばかりして申し訳ないんですが、主旨から言いますと「妄誕Fを閉じてみる」ことにします。というとアレですが、アレってまあ、アレなんですけど、あれだけ辞める、辞めない、辞める、辞めない、辞める!! ……やっぱ辞めない、を繰り返してきた僕なので、そう簡単にインターネットにおける一発信者の立場から罷るはずもなく、つまり「はてなダイアリーに移行してみます」ということ。さっきから「〜してみる」が続いて非常な婉曲ぶりですが、もう自信ないんよ。自分の判断にね。今までの多数の宣言を全事象として「幾何がなにか宣言して、それをやり通す確率」を求めたらこれは 0% になりますね。なる筈ですね。ネット上でなにか宣言して、それを完遂した覚えがまったくない。しばらくネットやめます、と言った三日後には日記を書き、ブログに移行します、と言った一週間後には「久しぶりー!」なんて言って戻ってくる。ブログやめました、と言いつつ二ヶ月くらいしたら「ごめーん!」と一人呟いてはてなの id を取得する。サイト名変えました、と思ったら一ヶ月くらいで飽きる。と、いま、ここで列挙していて本当に自分は……ああ、と実感される。だから今回の深刻ぶった文書も地球が何回か転がったのちには取り消されているやもしれません。でも書いちゃうよ。インターネットだから、日記サイトだから、俺の俺のパーソナルウェブだから無責任に言っちゃうよ、「一旦はてなに移行します」と。

 あと、ただひたすらに「移行する」とわめいておっても「バカ!」と言われるだけだし僕は「バカ!」と言われるのは嫌だけどもこの内容じゃあ「バカ!」以外の感想も思いつき得ないではないかバカ! であるので、埋めねばならない理由の欄を write down 。まあ当たり前のあれなのですが「わざわざこの環境で書く必要性が感じられなくなった」ということになります。そうねえ。とりあえず次第を追って話してみると、まずこのサイトが開設されたのが高校2年の秋。ブログで開かなかった理由は簡単、「人と同じのはヤダ」。まあ幼稚ではありますが、特に悔やんではいません。でも実際それだけではなく、ここに掲載されているようなテキストを上げる際に、ブログではないことは結構な安心感というか、頓珍漢というか、安本丹というか、ともかく似つかわしい感じがしたのですね。確かに役に立つライフハック(今「ライフ八苦」と変換された)とか、今日的な問題の議論が交わされているブログ連中と同じ土俵で日記を書き続けるというのには、やっぱり抵抗があった。ならば、最初から「オレ、異端っすから」的な格好をしとけばよくね? と。大方こういうわけでこのサーバーに安住しておったわけです。たぶんね。後付けだけどね。とまあ、然であったわけなのだが、近頃、どうやら世界が開けると考えは変わった。はてなダイアリーで役に立たない文章を連ねているところ、というのもそれなりの数ある、ということに気付いたのです。ならば別に沖ノ鳥島から発信する必要はなくて、もう堂々とはてなで書けるじゃん! という小市民的勇気が漲ってきた……というほどでもありませんが、辺境なこと書いても問題 nothing な環境ができているな、と、「ああー、なんかそろそろ大丈夫そうだな」という感じがしたので、まあ、大丈夫そうだな、と思ったのでした。いやあ、でも、それだけでは移行の決定的な理由にはなるまい。この自分で作ったページデザインも愛着あるしね。でもね……日記を書くにあたり便利な機能が揃っているのははてなの方なんだよね。そして、自分が書いたモノが人目に触れる機会が多いのも、はてなの方なんだよね……。いや、うん、ウラギリ! 慎ましやかに生きろ! 落ち着け! と思うひとも、もしかしたらいるかも知れないけど、自分が書いたモノは人目に触れたほうがいいっすよ。そうじゃなきゃ、何のためのネット公開ですか、って話になるもの。あとはもう気持の問題で、「キーワードで繋がるって? バカじゃねーの!!」とか、「そんな薄っぺらい繋がり……」とか、まあウェブの繋がりなんてみんな同じ程度だとは思いますし、つまりあんまり目をつり上げて叫ぶ気概もないなぁ、ってとこでしょうか。まああれ(開設)から一年半は経ったし、高校も卒業したし、このくらいの心境の変化は……んー。たぶんこんな感じ。以上を言い訳に、今度はこのような体制で様子を見たいと思います。http://d.hatena.ne.jp/misunderstanding/

(2008.06.30 記)

わぁい戻るヨ!