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2007.11.01 2007.10.30 移転します! 2007.10.20 YO! 本日二度目の日記だァッ! HelloeveryoneImfinethankyou! やっぱアレやね、拾ってこなけりゃ。何を? ネタを。ネタというか、動機? この際コトバの云々はどうでもよいコトにするけど。さてさてさあさあお立会い助け合い、僕の話が聴きたいという物数寄な方はこの先を読もう読もうどんどん読もう。そういうテンション(張力)でっから。イェイイェイイェーはじめるぜェ。あまりに他愛無い話を……。 今日の塾終わりました。その時、僕がすべきこと――帰宅しかありません。この時間帯ですから for example ブックオフに立ち寄るという英断を下す勇気は僕は持ち合わせておりませんで、とりあえずそそくさと歩を進める俺僕。やがて駅すなわちステイションの改札口へと巡りつく俺僕。ところが事件(accident)はそのとき起こった。女神が怒った。地球が熾った。会社が興った。ともかくokotta。すなわちの話、改札にスイカをかざしても空虚だったんです。もっと分かりやすく言うと、改札に Suica(東日本鉄道限定の電子マネーみたいなやつ) をかざしたが反応がなかった。うわっ、と慄いて、も一度かざして、うあっマジでコイツ不感だっ、と、なりましたとさ。さあとりあえず責任を改札に押し付ける僕であったが、そろそろ此処で疑うべきはアレだ、俺のほうに落ち度があったんじゃねえか、と。手元を一瞥する。アアッ―― そうれす、お分かり頂けたでしょうか。僕がスイカSuicaだと決め込んで改札にカツカツ求愛してたのは実は、あのー実は Suica じゃなかったってオチなの。ぎゃーふーん。すんません引っ張りすぎですたこのネタ。ただもうここ最近事件らしい事件に皆無でボケーーーーッとしてた僕にとってはコレがどうも目の覚めるような出来事でしたので、俺が支配者であり主人公であるところの俺の日記に俺が感じたままに表現するのは差し支えないっつうかそれは誰にも文句は言わせない。でなんだっけなあ、ああいうドジッコ的アクシデントをやらかした俺はハズカシー、とちょっと呟いて駅の階段を上る。「疲れてんのかなあ。」(←心の言葉)。……いや、いいんだ。あなたがここで違和感覚えなくてもそれは別にいいんだ。僕の日記だから。でもね、僕は続けてこう思った。「疲れているからウッカリするのか?」ってね。即ち疲労がうっかりサンに直結するんではないよなあ、と思ったのだ。この二つが連想ゲームでスムーズに繋がってしまったのは、そういう知識があるからなのだ。たぶん。疲れていると脳が休んでいて(休みたがっていて?)色んなことに注意が向かなくなる、とか言いたいのでしょうがでもさ、 Suica を取り出すという動作はもう頻繁に習慣的にやってることであって、それはつまり意識せんともできてるハズのことであって、そいつをワザワザ間違うというのはなんかヘンじゃない? 逆にこれは脳が異常に働いてる状態なのではないか。そうなのではないか。ありませんか。現に今俺はその延長でノリノリノルリで日記をタイピングしてるわけでして。ある種異常なソレが働いてるんではないかと。思いましたね。思いましたねお前ら。腹減ったー。 2007.10.20 またしても此処で語りたいことなんてナイのわっ。それは興味が拡散していた数ヶ月前と比べてわたしは目下オンリィ2、3の関心事しかもたないのだが、それが悉くココで書くに忍びないコトだからである。ただ誤解してもらいたくないのは、“ココで書くに忍びない”というのはべつに倫理的後ろめたさだとか、ネタとしての印象不足だとか、そういう意味で忍びないのではない。それはもう何故と問うても問いきれない、すなわちよくわからない理由によって忍びなくなっている。ただもう此処で書いてもしょうがないだろ、と考えている。たぶんそれは極私的なことだからだ。僕はウェブ日記には極私的なことは書かない。書いてないはず。しかし分からない。なにが極私的であるのか。その境界線がわからないし、僕が認識する“極私的”と、読者であるあなたが認識する“極私的”には電車のホームとホームの間ほどの隔たりがあるように思えるのでこの文章は初めから無意味だった。ほんとにねえよくわかりませんねえ俺。さてと。僕が目下関心を持っている事柄の中で、今までほぼ一度も日記に取り上げたことのないものは、○○とか○とか○○○○とかなのだが、それらを並べて薄目で眺めていて分かることは、やはりこれらは悉く極私的なものであって、つまりは自分の体験から来ていることであることが判明する。それも、自分と、他者が登場する事柄である。ここが重要なのであって、僕の書く日記の中には他者が登場しない。悉く、ことごとごとことくそうだと思う。そういうことが分かった、悉く。bye。 2007.10.18 んんー、つまり、近頃あんまり日記を書けていない理由(わけ)は、べつに受験勉強が忙しいとかいうコトじゃなく、自分の関心事が2つ3つくらいに集中してきたから、らしい。 分かってるよ。分かってるっすよ。俺が日記を書けない理由を知ったところで大したことどうにもならねっすよ。俺が日記を書けないことなんて自分以外のひとにはどうでもいいことっすよ。俺だってどうでもいいよ。そのときが来ればまた日記、イヤでも書き出すんだろうし。書けないときに無理矢理書こうとしたってダメなんは経験上ずうっと知っていますからね。ハイもう。そりゃこれは、たいへんご苦労なさったことよな。べろべろばあ。でもイイんだけど、とりあえずは そういう内容で日記を結局書いているところにこの男の病気を見る、というのはカナリどうでもよくて、それより“病気”とタイプしようとすると“勉強”と出てしまったことに僕の勉強への意識の高さが見えるわけなくて、それは単に以下省略、僕の目下最大から三番目くらいの関心事は勉強でありますが、勉強と言うのは字面からしてナントナクはばかられるので学習とか呼びたいんですけど皆がべんきょうベンキョウ勉強としか称さないので僕もなんとなく流されてしまってそういう欲望は悉く達せずじまいなのがもどかしい。 そこで皆様に提案なんですけどね、今後しばらく日記ぽつりぽつりとしか書かないと思うんで、思うので、皆様はそれをはてなアンテナに入れるなどしてとりあえず安心して、あと仕事でも学校でもなんなりご自由に箸はマイ箸ちり紙交換輪廻転生ペーソスペーソス嗚呼ほととぎす。まあ別にアレだし未来のことに言及するのは手に負えないっすからもう言うのやめるけど、だから俺が日記を書くのを控えると言ったところで読者がどうなるもんでもなし俺もどうなるもんでもなし明日になったらウヒヒヒ日記なんか書いてしまっているかもしれないけどまあアレだアレアレアレレレレレですのでそれまで俺は詩でも書いてるわ。もちろんここでは発表しない。恥ずかしいから。拙いから。いや恥ずかしいから、それだけ。日記は恥ずかしくねえよ。ちくしょう。狂人め。下手したら詩だって書かないかもしれないんだぜ。 2007.10.11 テキストサイトや blog を読んでいて、俺もなにか書きたいな、という気分に襲われたのだが、あ、通例書いてるうちウンザリして消しておしまい、の日記ですが、今日は最後まで書いてみようと思う。それで。自分も文章を書きたい気がした。そういう次第で、今、長距離走の途中から歩き始める生徒のように、何度も立ち止まりつつ、キーを進めている。 そんなもの――無益だ。 達也は言った。「無益」なんて、会話では出にくい言葉だから、あれは達也なりに考えた末に出した答えだったらしい。そのとき、僕は肯くような、あいまいに、首を動かそうとして、やめた。それから僕らは学校を卒業して、以来、会っていない。 こんな感じだから、つまり「よくわからない」のが分かっていただけるでしょうか。僕は世界が実にわからない。わからないことだらけ、なんて半端なものじゃなく、全くわからない。ひとっつも。かといって足元がフワフワ浮いて、手から指先がとれて自由に飛んでいってしまって、地面がぐるぐる回り続けて、戻ってこないような、そんなような不安感はない。言ってみれば、「わからない」という形で世界をとらえている。 そろそろ勉強しようか、とも思う。もう三時だし。ところで、今日のはひどく散漫な日記だなあ。それは、こぎれいにまとまった当たり障りのなくて小賢しい、そんな近年の傾向に対するアンチテーゼととってもらってもいいし――別にいいし――、単に作者の精神状態によって文章は変わるものだろ、を心得ていればそう思って読めばいいし、そして最後に、散漫を知っていながら何らかの手立てを加えようとしないのは、僕がそれ(散漫)を大したことだと思っていない、もっと言えば肯定しているからだ。とはいえどもどうしても散漫であって分かりづらいことには変わりないんで読者には日記の意図は伝わんねーのかなあ。やっぱり、丁寧に書かないと。でもね、俺(僕?)の気持ちとバッチシ、揺らぎ 5% ぐらい以下のひとだったら理解してくれんじゃないかな、なんて甘い期待まで抱いてるんのよ。いつまでもうじうじアップロードし続けてるのはその為もある。 2007.10.09 能書きフェルマータ 諸君。非常に……あのう……諸君。ご飯を食べるときの挨拶は、やはり、 「いただきます」 だと思う。そう……誠に……大それた話ではあるが……。そう……しかし! 諸君! 私は声を大にして言おう、ご飯を食べるときの挨拶は 「いただきます」 であり、 「いただきます」 の他にないのだ、ありえない! のだ! 人が「いただきます」と言うとき、それは必ずご飯を食べるときであり……そう、そうでなければならない……間違いなくそうだ……そうでなければならないのだ……。そして! 人がご飯を食べるときには、仮に人でない、なにか他の動物、例えば……トカゲとか……ヘビとか……そういう動物が、いや、もっと、そう、例えば、ミトコンドリアとかモウセンゴケとか三葉虫だとかピテカントロプスとか缶だとか三日月だとかミカヅキモだとか! そういうのだったら話は別にしよう! しかし。しかし! 我々は人間だ。人間である以上、そう……人間なのだ……人間だったのだ!! 我々は人間だ! ならばご飯を食べるときは「いただきます」と言うべきではないのか?! 否! 言わなければならない! これは “義務” とか、そういうレベルの問題ではない。人間の営みを遥かに超越した神聖な儀式、そこには“意識”だとか“理念”だとか“信条”だとかましてや“生活スタイル”など、そんなものが介在できはしない。できるはずがない。してはいけない! 概念的にオーケイなのだ。ん。いや。何を言っていた。今わたしは何を言ったのだ。違う。嘘だ。間違いだ間違いは誰にでもある。わたしはただの人間だ、あっ、人間だからご飯を食べるときには「いただきます」を言わねばならない。これはもはや否定も、さらには肯定さえできない untouchable な事実、トゥルースであり、それを否定してはいけない。本当はわたしが今更とやかく述べるのも馬鹿馬鹿しい問題なのだ。だが諸君はわたしを奇異の目で見ている。今、わたしがそれを言うと、目をそらした。その目はわたしが当たり前すぎる当たり前以前のことを言っているから珍しい奴がいると思っての目なのか、それともこのあまりに神聖かつ形而上的な問題を人間であるわたしが何の後ろめたさもなく語ってしまっている、つまりわたしが不可侵領域を堂々と闊歩してしまっていることへの慄きか、あっ、今何と言った。わたしは何と言った。待て、落ち着いてくれ、フゥーッ、フゥーッ、ハァーーーーー……。よし……よしっ。大丈夫だ。一から確認してみよう。まず、わたしは人間である。そうだろう。そもそも人間とは何か。学名、ホモ・サピエンス。今から約 4 万年前頃から出現しはじめたと言われ、クロマニョン人、周口店上洞人などがこれにあたる。ではなかった。ついつい衒学的になってしまった。ふふっ。あ、その、そうそう、その、そもそもの問い。人間とは一体なんだったであろうか。なんだったであろうか……どうしたものだ。人間とは……なにか。なんだ。どうなのだ。正直に言おう。わ、わ、わからない、のだ。「人間とは何か」も知らずに人間を語っていたなんて……いや……知っているはずなのだ……心の奥では知っているが、言葉にするのはひどくむつかしい。そういうこと、あるよね……分かってくれ、僕は、君が……そう、あっ、もう。人間とは、かくも複雑なものなのだ。わたしはその複雑な生物の一員である。これはもう疑いようもない……疑いたくもない事実なのである。そうしとこう。そうだ。私は人間だ。ならば人間である私が人間の営みを超えたと自ら称したところの「いただきます」について語るなどと、ああ、ああ! やめてくれ! わたしはもう沢山だ! もう言わない! 言わない。これからは慎ましく生きよう。そうだ。そうなんだ。ああもう。 | |