Log__2007.08

2007.08.29_チューイング将棋

 俺は一体なんなんだ?イヤ今日は自分が勉強しないことについて憂うのではないません。心配事はそれだけではないのだ。じゃー今日もマイナス志向の手紙かよッて話ですがそこは我慢してGO! GO! GO! が嫌ならばだしぬけにヒョッといった風情の奇声を発し扇子を机に叩きつけわざと音をたてて席を立ち大股でカツカツと靴音を誇示しながらドアーまで歩いてゆき苛立ち極限にまで達した顔でドアーを引こうとするが生憎そのドアーは立て付けが悪くガタガタとあなたはドアーを揺さぶってみるがドアーはガタガタと頭の悪い声を洩らすばかりで苛立ちも冷めてきたあなたはでも今更席に戻るわけにもいかず仕方なくていねいにドアーの表情を気にしながら静かにスーッとドアーを開け小股でまたいだらていねいにドアーを閉めてばつの悪い思いをしながらため息をひとつさて何処へ歩き出したものかと考えるが別段行きたい場所などあるはずもなくしばらくは廊下をただただ行ったり来たりを繰り返すが次第にそれも飽き結局は教室の外で授業の終わるのを待つしかなく不甲斐ない思いに襲われているところを授業中トイレに行こうとした同級生に見られお互い気まずそうに視線を交わすだけで同級生はトイレに行くしあなたは廊下に立ち続けそのうち同級生は戻ってきますがあなたはそれを見たくないので階下に下りてみるがそれも居心地が悪いのでまた教室の前で黙っているとようやく授業が終わる。そのあとはあなた次第でシャクにもショウにもケタにもできますからどうぞご自由にお取りください。なんだこの前置き。前置きが長くなってしまいましたが(笑)、そろそろ本当に書きたかったことを書こうかと思います。「そのとき」が来たのです。と思ったんだが前置きでズッキャリと“書く力”というものを消費してしまったものですからこのあとを続けるのがおお。ああ。なのです。回復魔法、とか言いたいんじゃないんですよもーやめてくれよほんとに頼むから後生だからベロベロバア。そもそも俺は R.P.G. はやらない人間なのでね。そう後にも先にも前も後ろも気が違っている。だからしたがってよもや彼はエンジニアなのではあるまいな。イーですね。イー……各地を転々とした!。ちなみに今日書こうと思っていたのは「自分の音楽感受性はとっくに平板になってしまったのに何故俺は音楽を聴き続けるか?」でした。あのころの感動はもう戻っては来ないのか。これはもしや音楽に限ったものではないのではないか。もしかしてえーとつまりそれなりになるほどすなわちだから俺は flat man と積極的に自称した時期があったのだからつまり感受性の減退は前々から思っていたことである。それ以上考えるのは面倒。


2007.08.27_クロレラの太陽

日記を書きたいのですがね。えー過去に「日記を書きたい」なんて口走っちゃった経験がある人は分かるかと思いますが、こう「日記を書きたい」と言うときには、その日記の内容は用意されていないことを示しています。んなわけで今俺僕は漠然と日記を書きたい、ということを既に書いてしまっています。現代的にはメタ「日記書きたい」とでも言うのでしょうか、よくわかんねえけど。さあてそういう理由ですからココまで書いたところで以後なにを書いたらいいか詰まりました。僕が「日記書きたい」ついて言えることはその程度だったってこと。それなら今直ぐ話題を転回するしかあるめえ。オオオオオオオオ…………コペルニクス的……転! 回! カアーッ!! いいやコペルニクスの名を借りるにはほんとに恥を忍んで、という感じなんだけどね。なら書かなきゃいいはずなんだけど。まあいいんだけどさ、今ちょっと思い出したので書き付けときますが。昼ドラマ(俺が好んで見ているわけではないことを明示しておきたい)見てた、というかTVに背を向けて昼飯食べていたから“聴いてた”ってことになるんだけど、所謂 tamanokoshi に乗りたい、まあ早い話お金で幸福が買えるという考えの人が出てくるのですね。で今日思ったのは、確かにそうかもしれないよなあ。という。これ、二年前の俺だったら断固否定してました。お金で買った幸福はほんとうに幸福であるのか?と。まあ当時思っていたのは「俺が高級車乗っても別に嬉しくねえよ」といった趣のものですが、この考えは結論として今でも同じで、むしろ最近ますます「幸福は購入できない」感を強めてきている。例えば CD を買って聴いても楽しくなれないことはある。逆に数学の問題を解いて絶頂することだってある。つまりはそういうことだと思う。そもそも楽しくなれないときは何やったって楽しくなくて、そんなとき探すべき糸口はまったく金とは関係しない地点にある。とにかく幸福というものを確実に得る術というものはない、というのが最近の実感。よって僕にとっては幸福は購入できまへん、との結論を握りしめてここまでやってきたのですが、昼ドラマに出ていた彼女はほんとうに金で幸福が買えるのかもしれんな、と思った。恐らくその人はブランドのバッグとか揃えるのが楽しく、且つそれが普遍的恒常的幸福に繋がるのだと思うから、とりあえずそれだけのお金が尽きないように暮らしていれば面白おかしく生きていけるんだろうと。まーお金が尽きたら悲惨ですけど。結局これは価値観の違いじゃないか。うほー。人それぞれ価値観が違うから面白いけど、だから悲惨なこともあるんだよなー。悲惨なこともあるけど面白いよな。面白いけど悲惨。悲惨だけど面白い。面白いから悲惨?悲惨だから面白い?ウワー。あまり関係ありませんが近頃は人が簡単に人を殺すことが多すぎると思う。


2007.08.21_問屋現象

( ´∀`)←この顔、久々に見て、フォントサイズによって差はありますけど、ナメた表情だなぁと思った。冷笑的、とか言ってたらホントにこれ記号的な微笑であり書き手は全く笑っていないっつか蔑んでるよなナメてるよなこれ2channelerの気質が云々とか暗い方面に解釈し始めたので俺もそろそろマズいなあ。しかしこれは俺が以前思っていたよりも遥かに無表情だぞ。確かにこの顔をしたアスキー・アートはニュートラルでこの顔だから当時の俺はそれを常に微笑しているキャラクター、として解釈していたのだが今これを見ると得体の知れぬ圧倒的な虚無感を感じてしまう。ヘラヘラヘラヘラ笑っているが一々パーツを分解してみると“∀”こいつがヤバいよな。余談ですが「“∀”」が顔に見えてしまった人は気をつけてくださいお大事に。とにかく“∀”を口に用いるのがマズい、なんてったって両側から裂けているのだから。つまり記号は記号でしかなく顔を作るパーツにはなりえないのに、それを無理矢理顔の一部として解釈するから顔文字ができるんだがやっぱり記号だから表情はないのだというか。そうではない。取り消し。そういうことじゃないの。分析なんかしなくてもいいの。言いたいことは( ´∀`)こいつの顔が虚無的だってこと。序でに( ・∀・)こいつも相当ヤバい。うわあああ。

とか。とかとか言っていましたがホントにいいのかこれ。なにってあのー何度も幾度も言いましたが受験ではないですか。ないですか、じゃない。受験です。受験です?そうですか。あっそう。知らねえよ。知ったことか。知ってる。受験だって。知ってるが理解していない?それより俺はキャベツとエシャロットを交互に頬張る生活に就きたいのかもしれない。勉強は貴様に向いていないのだという顔をする有象無象尼僧車窓の午後三時と一緒に踊りながらパンケーキのそばで眠りたい。そう、俺は眠りたいのだ。というのは嘘だ。それよりも勉強すべきなのだが“べき”とは何か。推量意思可能当然命令適当。図針これは「当然」の意味である。即ち受験生は勉強するのが当然であり受験生でありながら勉強をしないというのは言語道断、学而時習之、不亦説乎ってなもんなのだが俺は只今勉強をしていない。それってぶっちゃけありえない、つまり精神的な死に等しい落ち武者加減なのであり、そんな俺を俺は見ながらお茶漬けでもかっこむのだ。お分かり?されば俺は勉強がキライで機雷で帰来で生姜無いのかと言うまでもなくむしろ俺は勉強が好きと言っても差し支えないような根性を持っているという意識で生きてきているのだがしかし勉強には邪魔が入る。音楽や本や。それくらいならまだいい。日記の執筆を。ワイドショーの誘惑を。日記はいいとしてワイドショーに引き摺られるのは非常に我慢ならんことだ。ワイドショーになんて興味ないんだ。僕ワイドショーになんて興味ない。ついつい見ちゃうけど、ほんとうは興味ないんだぜ。では何故見ちゃうのかっていうと楽だからだろ。飛行機が燃えるのを見て何が楽なのか分かったもんじゃない。あの芸能人が結婚するとか勝手にしとけって感じだ。日本の政治家の発言なんて心底どうでもいい。そんなワイドショーを観るなんて俺はどうかしている。他人はともかく俺はもっとしたいことがあるのにワイドショー&ワイドショーとは。ああ情けなし。見ろ陽が暮れてきた。どーしましょどーしましょ。ところであんまり勉強が、あ、インターネットの呪縛いや誘惑にも気をつけたい。いや気をつけるのだ。つまりそれは自分に厳しく他人に厳しく餅の代わりにペニシリン、パラフィン買ったらお家へダッシュで借り物競争倦怠期。助けてくれえ。ボールペン。とか言った。つまりは自分に厳しくしづらいのならば周りを変えていけばいいわけだ。が先ずどうすればいいのか。それが分からないのでまた自分に厳しくしてみようと思ってこの日記を書いてみたはいいがこれはいい時間の浪費になったものだ。誰に向かって言っているのかって他ならぬ自分に向けて、なのである。ぺろぺろぺろー。そうだね。


2007.08.17_カロリーブラスト

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 んっと勉強したいので(できていないので)手短にいきましょう。なんだか知らぬ間に郵政が民営化するらしい。あんな問題とっくに解決したかと過去のSHOWだとそして否決で終わったのだとスッカリ決め込んでシートにもたれかかって過ごしていたのだがどうやら郵政が民営化するらしい。マジだよだってTVでCMで言っていたもの。なんか知らんが家にパンフレットが届いていた。ところでさ、郵政民営化するとどんなイイことがあるの。どんな。僕そのへんぜんぜん分からないのですケド。政治に興味関心がない上に政治自体も興味関心をもたせるような振る舞いをしてくれないし自分で情報を入れることも怠り気味な僕には郵政が民営化したところでどんな利点があるんか五里霧中雲散霧消般若心経ってな具合に、わからにい。なんだろう。それまでと郵便を用いるにあたり我々が踏むべき手続きが変化するのは分かる。分かるよ。しかし公共の福祉的観点からコレ眺めてみてどんなグッポイ(Good Point)があるのか。作業の効率化?お金がもっと入る?市民に対して便利に?見識皆無のままいいかげんに並べてみましたが一向にユーミン(郵民)の正体はぼんやりとでも見えてこない現れてこないボクは取り残されたまま立ち尽くして白骨化の危機。誰か教えてギブサムウォーター、教えてインターネット。検索。してきた。ウィクペディア大先生によるとこーいうことらしいのだがボクにはよく分からんかったイす。ひとつ思ったのは政府は簡単単純なことを面倒くさい手続きでいろいろ巻き添えにした上で実現しようとしてんじゃねえのかと、こう感じた次第で蟻枡。あと郵政民営化民営郵政化と選挙カーの如く連呼、連呼に次ぐ連呼でわめき散らすだけでなく初めに目的を掲げた上で演繹的に説明してもらいたい。いきなり自分の頭の中で完結した定理示されてあーだこーだ市民(僕)を煙に巻くのはやめてもらいたいたいいたいいたい。イヒヒヒヒヒヒアハハハハハハオホホホホホホ。というわけでしたから無見識にいろいろ吐いてみました。存じます。ばいばーい。


2007.08.15_ペルシャ・エイト・ケルビン

 朝から頭、働かなくて。

 あのー、アレです。ほんとうに(Reallyではなく、Trueの意味)頭が働かないので、具体抽象観念問わず、既存のものを描写するのは現在の僕にとってできぬ約束ですから、よくわかんないまま、を書いていきます。おふさしぶりです。幾何、です。ええ前述のような事情がありますのでこの約一週間、ひいてはこの夏休みいわば夏期休業に於いて何が起こっていたのかという質問は一瞥に付します。それでおしまいです。もう、おしまい。俺は一体何をやっているのか?

 ああーそういえば、細かい説明は省きますが新聞がストップしているのでインターネットからニュースを取り入れようと思ったんですね、昨日。というわけで今から Yahoo!ニュース を、とにかく、見てくるわけだ。見てきた。感想。「Shit...」。なにしろ個々のニュース記事をクリックする気になれないのだ。というのは僕がいかに世の中に対して不誠実であり無関心であり非人民であることを極度の確信をもって証明していることになるのでしょうか……。記事の見出しを読んで、それでオッケー、そんな気持ちになってしまう。あーーあーあーあー。もう一度見てくる。見てきた。うーん imaichi 興味が持てない。それはともかく見てきたのだから俺の中で何かが変わった。しかし世間に対して無関心な僕は決して拭えていない。ただこの場でそれを悩むのは先がまったく見えないグッド・ナイトだから話をずらさせてもらうと、

 TVを見ていたのですね。偶然なんかのドラマで世界のアレコレの映像が流れました。それを見て僕は考える。その世界のアレコレについてもだし、それを道具的に使うドラマってどーなの?と責任転嫁まがいに思ったりもした。それからTVの暴力性。こんなもん遥か昔に誰かが書いてるでしょうけど、まあそんなこと言い出すべきじゃないんだが。で、TVの暴力性。というのはTVを通した情報享受って、その取捨選択ができないじゃない。できないよ。「Channelをかえれば良い」と言うかもしれない。しかし、不意に世界のアレコレが映ったとき、そこで苦い顔、あるいは無表情、あるいは談笑しながらリモコンを繰るなんてこと、僕にはできないよ。そんなんでいいのか?と思う。これは善意でなくてもっとずっと卑しい考えからそうしているかもしれないけど、まあともかくTVには視聴者に暴力的に情報を叩きつける仕組があると思う。

 なんか面倒臭くなった。ばいばい。あー人生がつまんない、とかそーいうアレじゃないっすから。えー。ピーヒャラピーヒャラ。とか書くとまた心配されんだろか。心配はされないよな他人だし。これは本心なのか俺の中の一般論なのかともかくそんな暗い気分ではないのだが卑屈な日記を書いてしまったあ。関係ないけどこのサイトの製作は爪を切るようなものです。大したことじゃないけど、やらないとなにかと不便。そうしてまた夏休みが続いていることを思い出す。また勉強しまっす。


2007.08.09_キルギス・ファラデー記念日

 とうに日の暮れた時分、昼間に無造作に脱ぎ捨てられた赤頭巾は、いつしか、月に照らされたアスファルトの上で拡散をはじめていた。繊維がほどけていくというより、いくつかの分子の集団として無数に分裂した赤頭巾は次第に、地面に這いながら拡散していった。半径数センチほどの幾つもの欠片は、水銀の粒のように存在を主張し、各々小刻みに揺れ動いていた。しばらくすると、赤頭巾だった粒々はアスファルトの中に吸収されるように消え、あとには何も残らなかった。観測していた私はほっと息をつき、明日からもまた昨日と似たような日々が続くものだろうと思われた。しかし、すっかり安心しきって夜空を眺めていた数分後、上空に赤い“点”が見えた。“点”は、その正体を考えるまでもなくみるみるうちに広がっていき、私がその意味を知る前にこの夜空を赤色ですっかり満たしたのだった。

 こんにちは。なんだかねえー……、暑い暑いと毎日呟き続けてしまうほどに、夏という気候は連日主張を続ける。まー世界規模で見たら日本の暑さなんてドラマとドラマの合間に流れる テレビCM のようなものなのでしょうが、僕は世界規模の暑さというものを知らず、つまり日本の暑さを絶対値として感じているので、暑いものは暑い。と言っても僕なんて帰宅したらすぐさまクーラーのスイッチをONにするような貴族的環境にありますから、そんなヌリーやつが暑いとは傍ら痛し、より精進せよ、といってはばからない僕の中の客観第 III 号を横目でチラチラ見つつ、本題に入らせていただ。ところでセミ、蝉の話だ。蝉といえば one of 夏の風物詩ですが、たとえば都会も都会、赤青黄色のネオンに彩られたイデオロギーが烈しく対立し、様々に趣向の凝らしたイチマルキューの立ち並ぶような都会へ足を繰り出してみれば、蝉という奴はそこでも生活を営んでいるのでありましょうか……とはあまり関心がないのですけども、居るとこには居ますよね、蝉。強烈なサラウンドを構築してますよね、やかましいんだ蝉は(注意。俺は蝉に腹を立てているわけではない)。やかましいわけだが、これ、憤慨憤慨ばかりせんと、ちょっと後ろに下がって考えてみれば蝉のハカナイイノチを見つけることでしょう。蝉は我々の尺度で測るところの一週間しか表舞台に立たないというハナシです。だからもう、7日間、必死でジリジリやるんでしょうな。いや、あのね我々日本人と違ってね、ケロッグの2週間チャレンジ!ダイエットとか。ビリーと過ごすブートキャンプ一週間!とか。やってる場合ではないのです彼らは余裕が、暇がありません。いやほぼ全ての野生動物は生きることに余念がないのだと思いますけど。とにかくね、そういう必死さを思って故人たちは蝉に風流を感じていたと思うのですね。……ということを考えてさっき僕は風流を感じていたのです。でもさ、考えてみれば我々、蝉サラウンドを毎年のただの時間の流れのチャイムとして捉えていて、蝉がジリジリ鳴らしたててもBGMとしか解釈していない、のではないか!?みんなもっと風流しようぜ、と思ったのだがこれを読んでいる皆さんも蝉と同様に余裕がないのかなぁ、という結論に達した次第です。学生会社員などなどは言わずも、社長だってひきこもりだって同じように余裕はないと思うしなあ。「俺は、余裕がある!スピー」と確認したらそれが余裕のなさ、なんだろうし。余裕という気分は諦念と結びついている気がするしねえ。だから、あらゆる意味で余裕のない僕らは無限に直面し続ける現在を見据え続けなければならないのです!?なんだ?え?


〜2007.08.07

む……分かりにくきみたし、と勝手に思ってい、要らぬ心配と懸念をば天秤に掛けて云々……なんだか長々と書いていて分かりにくいのデワ??と僕の中の客観第 II 号がのたまったので、いちおうはっきり告げときます、

イテンチュウです。

イテンチュウとは、一時転居中という意味でがす。転居先の≪はてなダイアリー≫でもココと同じデザインにした筈なのだけど、どうやらどうして雰囲気は素人目に見てもゼーンゼン“違う”らしいっす。アンテナ登録数も振るわないし(まだ気にしてる)。なんだか飽きたら(厭きたら)またこっちで書きます。それまでの辛抱だ。だッ。


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