Log__2007.07 | |
2007.07.14_ピラニア農園 雨は降る。降り続ける。雨降っちまったよ……。折角の休みなのにさあ。今日は、ちょいと遠出(つっても電車二駅分くらいだが)をしようと予定していたのです。そこにこの雨。意気消沈。いやいや元々意気なんて一回分の粉薬くらいしかありませんでしたけどさあ。そうして雨なんぞものともせず、自転車を飛ばして最寄の駅までレッツ・ゴーをする、なんか、こう、破裂するモノも今日の僕は持ち合わせていず、そんなわけで、雨にいいように家に押し込められている僕です。じゃあ何をしよう。雨は家で読書をするに限る、と誰が言ったかスクランブル・エッグでありますが、とりあえず読みかけでなかなか進まない本がありますので、横になってそれを読む。座ってそれを読む。成果、 14 頁也。いやぁこれがなかなか進まない本なんっすよ。ってそりゃさっき言ったか。 (数時間後)やー。とりやえず報告しとこう。拙者、出かけて来ました。イエア、「ジュース買ってくるわ」を「ADVENTURE」へとスライドすることに成功したのです。あれから黙々悶々と家に篭ること数時間、 CD なぞ聴いて、だんだん飽きてきて、携帯電話なぞいじりつつ、まあ聴き終わり、するとひらめいた。早速くつした、小かばん、鍵、鍵2、財布を持って出発。雨ん中、自転車を走らせいい気分。目的地に着くも夢破れ、ちょっとしたきっかけで、さらに世界へ踏み込んで興奮。(中略)。ひとしきりもふたしきりも興奮したのち、自転車に乗って傘を差してぬれながら走り、楽しいアタマで寄り道なんかしつつ帰宅。オッケェーイ!今日の役目は果した。 2007.07.13_瑪瑙闘牛 おはよう。日記を書かない。今日は日記を書きません。なぜかと言うと日記を書きたいと思わないからです。日記を書きたいと思われないからです。日記も書かなければ小説も書きません。詩も書きません。警句も書きません。ネタも書きません。じゃあこれ何?と言われたら、それらの一般の括りから外れるなにか、と言うしかありません。ジャンルにとらわれない方向性、だとか言う気もない。さらさらない。いつになく平板な文体で書いています今日の日記ですが、あっ日記って言っちゃった……。まあ、これが呟きでなければ日記です。呟きにしては長すぎるし、小説にしては無軌道すぎるし、詩にしてはダラダラしすぎているし、警句にしては長すぎるし、ネタにしては……。まあ、なんでもネタと言い張ることはできますけど。とにかく、“よくわからないもの”を“よくわからないまま”打ち出すのが日記らしいと思いますので、そういうことにします。話を戻して、いつになく平板な文体は俺の冷淡なところをよく示しては……いなくて、こういう、なんか、ボケーっとした日記も書くってことは本質がソレなのか!?と勘違いする輩がクラスの半数くらい居そうなので、念のため、弁明しときますが――べつにいいんだけどさあ――、つまりね、こういう心情吐露しそうな沈静型日記読んで、幾何(作者)の正体見破ったり!とか思わないでもらいたい、っていうのが僕の願い。いや勘違いする人はしていいし、そういう人がいるからクラスは成り立つんだけど、ただの願いです。だから。あー百億円当たんねーかなとつぶやく子犬みたいなものです。平板な文体も確かに自分だけど、グニャグニャした文体も無理してやってるわけじゃなくて、そんなこと分かってますよね。あーあ。すッすいませんでした。疲れてるんだよなあ。何もしなさすぎて。そうでもないかな。よくわかjらヶjがg。そんな日もある。がんばるそ。 2007.07.06_スピード・メンタル・海峡 おいっ今夏が来た。たった今、本格的に夏に突入した。僕の夏です。夏だからって浜辺でビーチをクラゲに水着ということでもありませんし、恋人と一緒にスイカバーを頬張るなどのイミテーション・サスペンスを演じる気も予定も見通しもありません。夏だからってそれが必ずしも良いものだとは限らないし、夏だからって行事のように呪いの日記を書くことを義務に感じる必要もないと思う。話は変わりますが、ただ今……、いや、今さっきぐらいまで憂鬱でした。どこからともなく憂鬱だった。軽い憂鬱ではあるが、まあ憂鬱は憂鬱なので憂鬱。まるで張り合いがないの。先行き不安定とかそんな話じゃないのだが何となくめんどくせー、という感じ。むしろ事態は段々と良い方に向かっている気がしないでもないところであるのだが。事態は良くなりつつあるが肝心の自分が変わんねーことに対する ABC 、か?。とかなんとかもっともらしい理屈をつけることはできるでしょうが、そんなことしてもほとんど意味ないのはえーっと過去の日記にても示されていることですし、いくら言葉並べたところでなかなか人間というものは動かしがたいという結論をでかでかと掲げられた諦めムードの中、気持ちは水面下 20cm 程度を這い続けるカンジ。そんなときは表現活動に限る。僕はギターが弾けない、おまけにベースもドラムもピアノも全くの素人以下ド素人以下の lazy crazy ですので、文章を書く。はっきり言わせてもらうとこのサイトは僕の表現活動であります。その点で 妄誕F はネット文芸やらケータイ小説と変わらない。のか。まぁ少しばかり purpose の相違はありますでしょうけれども、僕も君も大して変わりはしない。のだろうと思う。表現というのは人間のどうしようもない感情から生まれることが多いと考えているし、そうあって欲しいような気がするんですけど、そう考えるとその expression を receive して喜ぶ人ってのもこれまた面白い構図だなあ、とふと思った。ともかく夏です。僕の、俺の夏。 2007.07.03_姑息なポエジー 唯物論者の幾何です!こんにんは!見て!ポエマーという言葉は存在しない!詩人のことは poet って言うんだよ知ってた?ところでこれは、職業詩人を poet と言い、詩人きどりを ポエマー と呼ぶのではないか?という結論に達しました!そんなの誰でも知ってらぁ!と投げやりに始まり投げやりに終わるこの poem は、以前した話を繰り返すという暴挙に出ます!とくとご覧あれ、という話。 TV 見てて気になることを幾つか。だいたい僕が TV なんか見るときは (1):朝食時と夕食時にニュース番組という名のテレビショーを眺める。 (2):風呂上がりなどにうっかりバラエティ番組を見る羽目になる。 (3):常駐のテレビドラマを見る(稀)。というふうになっているのですが、そんなことはどうでもいいのです。折角なので先程のそれを活用させて頂くが、(1) の場合。夕食時。えっとね、なんだか知らないけど夕飯時って食ベモノの特集ばっかしやっていません?あれはね、本当に、バカの一つ覚えだと思う。しかも昨今では美食なんかより“大食い”勢力が横暴を窮めていますから全く、ほんとうにタチが悪い。やっぱりねえ、これだけ選挙カーの如く「隠れ家グルメ!」だとか「大盛りラーメン完食したらタダ!」とか、「爆安!」「食べ放題!」とか連呼に次ぐ連呼によって脳からアレが染み出る頃になってきますと、「世界には……」という言葉も出てくるってもんですよ。っつうかこれだけグルメ狂時代を演出しているにも関わらず、それで視聴率がとれているのが僕は悔しい。みんな「世界には……」とか思わないの?。ときに、「時間内に全部食べたらタダ!」のヤツでもしも(というか大半がそう?)完食できなくて、そしたら大量にその、残したごはんは捨てられるわけじゃないですか?責任とってくれんのか、という話っすよ。もー。 | |